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2023年04月18日05:11

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関東軍の内面指導


満洲国では何事をやるにも、関東軍の「内面指導」を受けなければならない状態となりました。農事合作社の内面指導を行ったのは、東条英機です。石原莞爾と東条英機の二人は犬猿の仲です。従って、内面指導を行うに当たって、二人の対応の仕方が面白いです。

次の文章五十子巻三 「石原莞爾先生と農事合作社」(『あ、満洲』所収)より はその時の模様を描いたものです。

「農業政策大綱が昭和十二年(康徳四年)五月十五日に決定されてから、その大綱に基づいて各部門の具体策を樹立していく段取りに相成った次第であるが、最初に着手したのが、たしか農事合作社(後の興農合作社)の仕事であったと思う。

農事合作社はもちろん日本の当時の産業組合を真似して作ったものであるが、特に満洲国の実情にいかに合致せしめるかということがこの制度の実施上大切なことであった。(中略)農事合作社設立要綱を政府部内で造り上げて、いよいよ関東軍に説明しその了解を得る段取りとなった。

満洲国政府からは実業部総務司長の岸信介さんと、農務司長の私、それから総務庁人事処長の源田松三君の三人であった。説明の場所は関東軍司令部の表玄関のちょうど真上の二階の応接間であった。中央に大きな円テーブルがありそれを中心に正面に東条英機参謀長(少将) 左側には片倉哀参謀部第四課長 中佐)がおられ、当方は、中央ちょうど東条さんの正面に、当の説明者である私が座り、その右側に岸さん、左側に源田君が座った。

一応私が全部の説明を終わると、それを待っていたように石原莞爾先生が開口一番「五十子さんよくわかりました。制度としては結構です。ただしこれを実施する場合は全満全部に一緒に設立しないで、いろいろ農村事情の異なるような所で精々五、六ヵ所も作って見て実施し、 実施中色々改善すべき点も出てくるでしょうから、次第に改善して行き、できるだけ完全にした上で、全満に拡げたらいいでしょう。 決して急いではいけません』とそれだけ言って口をつぐまれた。私は大変よい注意と思ってありがたく拝聴した。

ところが石原先生の話が終わると、すぐその後で東条さんが「五十子君」と呼んで話を始めようとされた。そうすると間髪をいれず石原先生は激しい口調で「五十子さんもうこれでよろしいです。 こちらは憲兵ですから(筆者注憲兵組織を作ったのは東条である。そのことを皮肉ったのであろう)、何もわかりません。 これで決定いたしました」と言い切られた。

さすがの東条さんも怒るわけにいかず、苦笑されながら席をたたれた。こういう次第で石原先生のお言葉のように関東軍のいわゆる内面指導を受けて関東軍の了解を得た次第である。(元、满洲国開拓総局長、東満総省長、(株)東洋機械社長)。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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