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2023年04月17日00:21

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思考を思考する

今週末に見たビデオはNHK「ヒューマニエンス」の「文字」で、放送は半年前でした。まあ、それはともかく、文字と言う脳の外の記憶手段を手に入れたことで文明を発達させたとか、文字を独占することで格差が生まれたとか、ディスクレシア(識字障害)の話といった様々な話題が出てきました。

文字の独占による格差については、独占で格差を生む一方で、一般開放によって富の蓄積を一気に進める役割も果たしていますから、他の多くの「技術」とあまり区別して考える必要はなさそうに感じます。以前読んだ本に、「多くの人は、自分が3桁の掛け算くらい当たり前にできると思っているが、紙と鉛筆(文字を書く手段)なしでそれができる人は少ない」という記述があり、知識の蓄積だけでなく、思考能力の拡大にも文字が大きくかかわっているという面もあるでしょうし(ちなみに、その記述では「宇宙人に拉致されて思考能力のテストとして与えられた課題を、紙とペンなしでできない理由をどう説明するか」となっていました)、知識の蓄積は優越的地位を奪うと同時に独占状態では到達できない豊かな社会を実現するわけですから、正に技術は使い方次第、ということでしょう。

ディスクレシアの節では、文字の処理には脳のリソースをかなり消費しているという話があり、この辺は脳科学の発達でより明確にわかるようになってきたようで、文字を認識するためにどうやら人の顔を認識する脳の部位を流用しているらしいとか、音声言語を処理する部位もやはり活動している、といった話がありました。この辺は自分と引き比べて、書き言葉より話し言葉の処理が苦手な私の場合の脳の活動はどうなっているんだろう、とか、人の顔をおぼえるのが苦手なのは脳が文字向きに特化してしまっているからなんだろうか、とか、考えてしまいました。あと、音声言語の処理が文字を憶えたての子どもは自分の間違いを監視するような部位が働くのに対し、大人では働かなくなるそうで、誤植に気付きにくいのはその辺が関係しているのではないかと言う話も、いわゆる「ヒューリスティック」と呼ばれる思考コストの節約と関連付けると生物と言う存在のありようが見えてくる気がします。

直前に見た、日本テレビ「カズレーザーと学ぶ」の記憶の回で、電子回路上に置き換えた人格と言うものを「成長しないのではないか」「それは生命に対する神秘主義」という議論がありましたけれど、記憶の「刈込」や特定の回路の強化は生物学的(つまりは物理構造そのものへの干渉)で成り立っているようですから、特定時点での人格の移し替えに追加の記憶を足していくだけでは「デジタルコピー」は成立しなさそうだ、と感じた直観が、文字習得の話を聞いて強化されました。

なんか久しぶりの書き物のせいか(もとから?)、話が飛んでまとまりがなくなってしまいましたが、知識は溜め込むと整理されることがあるのが面白いと感じます。まあ、つながりの間にある知識が共有できないと、説明にむちゃくちゃ時間がかかるのが難しいところですが。
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