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2023年04月16日08:39

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薩長密談の茶室の危機


今、京都では猛烈な勢いで町家が壊され、伝統家屋が失われています。アジアの経済成長で外国人観光客が急激に増えました。町家が倒され、ゲストハウスのビルに変わっていることもあります。観光客が来ると、観光対象であるはずの伝統的景観がかえって破壊される皮肉な現象が起きています。

このままいけば金儲けの観光ビルばかりになり、将来的には観光客が去りかねません。まさに観光公害です。京都は幕末維新の舞台ですが、先日、大久保利通が西郷隆盛、岩倉具視との密議に使った茶室「有待庵」が解体されるという。この茶室はわずか三畳ですが日本史を決定した空間です。

なにしろ、この茶室は薩長連合協議の為、少し早目に京都に入った薩摩藩の小松帯刀の茶室です。長州藩の木戸孝允との「密談用にあの茶室が使はれたことが色々言ひ傳へられて居ります」「薩長連合の密談の際に用ひられたもの」と、大久保利通の三男・利武がはっきり証言しています(『有待庵を繞る維新史談』、以下引用は同書)。

これが正しいとすれば、有待庵は坂本龍馬の薩長同盟の舞台になった茶室の部材で建てられていることになります。その後、茶室は大久保邸に移築され、王政復古→鳥羽伏見の戦い→東京遷都の政治過程では、この有待庵で大久保と西郷が謀議したようです。

西郷と大久保が、この茶室で密談する様子は、西郷のいとこ・大山巌(のち陸軍元帥) が回想しています。「西郷さんは奥の茶室で時には密談が長くなり困った」。すぐに暗殺されがちな長州人、土佐人に比べ、薩摩人は用心深いです。

西郷の夜間外出の際には、大山が「常に短銃を懐ろに入れ、少し離れて警衛し」、「大久保さんの外出のときは、西郷信吾(従道=隆盛弟)が随行しました。薩摩藩の要人警護がしっかりしていました。そのうえ、密談に専用の茶室を使い、情報管理が徹底していました。

西郷は、いとこの大山さえ、この茶室に近づけていない。岩倉具視はこの密談茶室に変装してきた。「頭巾を召され・・・・御太刀は風呂敷包とした。 そう従者の西川与三が証言しています。この茶室が解体されると、歴史研究者の原田良子さんは驚いたといいます。

近くの神社関係者がまず察知し、以前から心配していたとの情報が入り、これはいけない。放置すれば、間違いなく消滅する。この茶室は文化財に指定されていない。制度的には150年前のただの茶室なのです。

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