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2023年04月05日05:01

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覇道に飲み込まれる王道


東条政権が東亜連盟を標的と定めるや、各地で連盟運動関係者が憲兵、特高に検挙され、拷問を受けました。 関西事務所は、一年余の拘禁、厳しい拷問を受けました。石川正敏氏は次のように書いています。

〈東亜連盟による事変解決を極度に怖れた東条軍閥は、東亜連盟の弾圧と防害に狂奔した。 彼らを取りまく曲学阿世の代弁者や自称愛国団体の右翼や、憲兵警察は、東条の指図で翼賛会・翼壮・在郷軍人に働きかけ「東亜連盟は米英の第五列である」「敗戦主義だ」「赤だ!」など、罵倒をあびせ、東亜連盟会員には、召集、徴用などの私物命令が頻々と発せられた。

新聞・雑誌・ラジオなどの報道機関には東亜連盟に関する限り、悪罵以外には報道させなかった。彼らは国民を東亜連盟から盲目にしようと必死に努力した。報道機関もまた、東条の弾圧におびえて国の運命に目をふさいでしまった〉(『政治なき政治』)。

一方、辻政信は敗戦後の昭和25(1950)年に、次のように振り返っています。「狭義皇道主義の御用学者は、参謀本部に巣食つてゐた。一部の謀略型インテリ軍人に働きかけ、 東亜協同体理論や、興亜同盟論を以て、東亜連盟運動の向ふを張り、果てしなき議論を、日本人を対手に繰り返してゐる。

現地の運動(中国での東亜連盟運動)と、日本とを同調させる為に上京し、軍務課を始め、参謀本部の関係者に説明したが、主義に於ては同意なるも、人に於て躊躇した。それは、石原さんが運動の始祖であり、板垣さんが推進力である以上、これに共鳴するものは東条陸相の逆鱗に触れる事を、覚悟しなければならなかつたからである。この空気の中で、敢然として趣旨に同意し、励まされた人は、時の陸軍次官阿南中将であった」(『亜細亜の共感』)

東条はそれほどまでに石原莞爾を目の敵にしていた。ただ、石原莞爾は「俺は東条などと少しも喧嘩をしてはいない。俺には思想があるが、東条には思想がない。東条には権力があるが、俺にはそれがない。これでは喧嘩をやろうにもやりようがないではないか」と語っています。

いずれにせよ、東条政権が東亜連盟を敵視する中で、東亜連盟の主張への攻撃が活発に展開されるようになった。東亜連盟論は日満の「平等的結合」を主張するものであり、日本の指導性を故意に無視するものであるといった批判が高まった。また、超国家的な統制機関を設置して日本の政策もこれに従わせようとするものであるという批判もあった(桂川光正「東亜連盟運動史小論」『日中戦争史研究』所収)。

東条政権は、昭和16年7月に設立した大日本興亜同盟を翌昭和17年3月に改組し、これを通じてあらゆる興亜団体をその統制下に置こうとした。 東亜連盟協会は加入を拒んだが、両者は種々折衝の末、同年9月になって妥協し、協会は「思想運動団体として・・・・・・ 昭和維新運動に邁進」し「興亜運動部門は之をあげて興亜同盟に統合する」こととなった。

これに伴い、「東亜連盟協会」は「東亜連盟同志会」と改称されました。この時点で、代表者は木村武雄から和田勁に代わりました。(現在、和田勁のご子息が石原寛治平和思想研究会の相談役となっています) 木村武雄の日中国交正常化─王道アジア主義者・石原莞爾の魂・坪内隆彦 (著)参照。

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