『看聞日記』嘉吉元年(一四四一)二月二十七日条
今日は、お彼岸の中日である。(中略)
ところでこのところ、一条戻橋東詰に夜な夜なお囃子をするものがいるそうだ。三日目の夜に細川持常讃岐守が人を出して見に行かせたら、突然、消え去ったそうだ。これは妖怪の仕業であるということで、細川は将軍に報告したという。このものは縁起の良くない言葉で囃していたそうだ。噂はあてにならないが、将軍へ報告したということは実際の出来事だったのであろうか。それに、事文も出ている。(中略)
【頭書】この妖怪は、下京でも囃しているそうだ。いろいろな噂が飛び交っている。
(以上、現代語訳)
夜な夜な縁起の良くない言葉でお囃子をする妖怪、原文では「凶事を拍す物、妖物」とある。橋詰すなわち橋のきわは、この世とあの世を結ぶ場所だとも言われる場所である。
そしてこの妖物は上京の一条戻橋東詰だけではなく、「頭書」では下京にも出現しているという。
単なる噂だけでは信用できないが、細川持常が足利義教に報告しているということで、貞成はこの件は事実かもしれないとも考えている。ただし、この報告の件も噂に過ぎないが。
最後に出てくる「事文」(ことぶみ)とは、怪異などが起こった後に、世間に出回る文書のこと。
事文には、怪異による災難を避けるために、呪いをしたり賽を振ったりすることが指示されている。そしてその後、酒宴をするのが通例となっている。ここでは、一条戻橋東詰で拍す妖物についての事文なのであろう。
なお事文については、照井貴史「『事文賽打』について」(『アジア文化史研究』六号、二〇〇六年)が詳しい。
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