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2023年01月08日04:26

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足利紀行6 足利伊勢神社 / 善徳寺

 2日月曜日はJR足利駅へ到着後、先ずは駅の近くにある足利伊勢神社〔村社〕を訪れました。
https://www.google.com/maps/place/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@36.332981,139.4532656,17z/data=!4m8!1m2!2m1!1z6Laz5Yip5a2m5qCh!3m4!1s0x601f2231e89f5157:0x60c4f8d03f02a8e5!8m2!3d36.3338913!4d139.4573702

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 仁平元(1151)年に源義国が足利荘に創建したと伝えられ、祭神は天照大神(アマテラスオオミカミ)と豊受大神(トヨウケオオカミ)です。。
 弘化2(1845)年に社殿を復興造営しましたが、その後、荒廃していたのを明治14(1881)年に皇大神宮遥拝所として再建され、明治35(1902)年には本殿が建設されました。明治39(1906)年に社殿増築が行われ、大正2(1913)年に現在地へ遷座しました。
 大正14(1925)年の大火で全焼してしまいましたが、昭和4(1929)年に神明造の新社殿が竣工、この時に伊勢神社と改称しています。足利七福神の寿老人をお祀りしている神社でもあります。
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 「足利伊勢宮」の社号標と扁額は、東郷平八郎伯爵元帥の揮毫です。
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 内宮(ナイクウ)拝殿です。私にはここが初詣になりました。
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 内宮本殿です。
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 外宮(ゲクウ)です。
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 月讀宮(ツクヨミノミヤ)です。
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 伊勢神社には回漕問屋忠兵衛の石燈籠〔足利市指定文化財〕があります。
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 寛永元(1624)年から明治21(1888)年まで両毛地方の輸送の主力は舟運でしたが、回漕問屋忠兵衛、略して「問忠」は北猿田河岸(キタエンダガシ)の中で最も古い歴史をもつ回漕問屋でした。この燈籠は嘉永2(1849)年9月に問忠が「船中安全」を祈願してに建てた総高375.0cmの安山岩製御神燈で、明治20(1887)年に「問忠」が廃業した後、両毛鉄道足利駅の近くにあった伊勢神社へ移設されましたが、大正2(1913)年に伊勢神社が現在地へ遷座する際に再移転されました。なお、平成23(2011)年の東日本大震で火袋が破損し、修理が施されています。
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 次に西北へ向かって臨済宗妙心寺派東光山善徳寺を訪れました。
https://www.google.com/maps/place/%E5%96%84%E5%BE%B3%E5%AF%BA/@36.3355954,139.4525414,18z/data=!4m8!1m2!2m1!1z6Laz5Yip5a2m5qCh!3m4!1s0x601f222f99981159:0x4586da12c8e08f12!8m2!3d36.3357431!4d139.454432
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 当寺の前身は延文3(1358)年に死去した足利尊氏の位牌を安置した小堂で、その後、足利一門の今川基氏の子で、鎌倉五山の浄智寺・円覚寺・建長寺の住持を歴任した大喜法忻(ダイキホウキン)が、応安元(1368)年に臨済宗円覚寺派行道山浄因寺の末寺として毛野村岩井に正式に開山しましたた。開基は足利尊氏とされています。
 本尊の薬師如来は仏満の弟で、遠江・駿河守護を務めた今川範国の持念仏で、恵心僧都源信の作と伝えられます。
 慶長5(1600)年の関ヶ原合戦の際、下野国小山で奥州会津の上杉景勝に備えていた参議結城秀康(徳川家康の次男)は、当寺第10世丘甫(キュウホ)を陣中に召して吉凶勝敗の卜(ボク)を行わせ、吉卦を得たため、丘甫に種々の下賜品を与え、この時に足利学校に隣接する現在地へ移転しました。旧地には境外仏堂として地蔵堂があります。
 享保19(1734)年の火災で鐘楼等が焼失し、天保2(1831)年の大火では足利学校と共に灰燼に帰してしまいましたが、明治27(1894)年に臨済宗妙心寺派へ転向の上、明治28(1895)年に再建されました。
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 鐘楼です。
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 本堂です。
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 ここには天井板絵〔足利市指定文化財〕126枚があります。明治28(1895)年の本堂再建の際、田崎草雲の弟子である藤原草丘が4・5間X3間の天井に描いた花鳥風月図ですが、非公開です。
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 庫裏(クリ)です。
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 この後、観光案内所の太平記館を訪れました。
https://www.google.com/maps/place/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E8%A8%98%E9%A4%A8/@36.3350226,139.452121,18z/data=!4m8!1m2!2m1!1z6Laz5Yip5a2m5qCh!3m4!1s0x601f222f0aafcffd:0x25b567d57ef5d6e5!8m2!3d36.3350226!4d139.4541809
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 ここで土産物を買って、妹宅へ宅配しました。
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 足利学校へ至る「学校様通」へ入ります。
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 足利学校へ行く前に松村家住宅〔登録文化財〕へ寄り道してみました。
https://www.google.com/maps/search/%E6%9D%BE%E6%9D%91%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8/@36.3356367,139.449523,17z/data=!3m1!4b1
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 大正14(1925)年に4代松村半兵衛が建てた住宅で、主屋は四つ間取りの座敷三方向に廊下を廻し、天井を高くして欄間(ランマ)を設けるなど、大正から昭和にかけての洒落(シャレ)た市街地和風住宅の特徴が見られます。
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 内蔵は、地下一階・地上二階の三層構造となっています。築地塀(ツイヂベイ)に囲われた屋敷内は、樹木・燈籠・手水(チョウズ)・石組等で趣のある内庭を構成しています。
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 令和4(2022)年11月までは「松村記念館」として一般公開が行われていたんですが、閉館してしまって残念です。
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《続く》
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