前回の続きです。
二次大戦の戦記を読んで異様に思うのは、「天保銭組(陸軍大学出身者)が無天組(そうでないもの)を軽蔑したり虐待したりする」という話が、異様に多く出ているところです。
陸軍大学というのはそんなに素晴らしいかと思い、調べたことがあります。
語学は複数の言葉をペラペラになるまでやり、高度な数学の問題を解くなど。
しかし、全然違いました。
兵棋演習
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E6%A3%8B%E6%BC%94%E7%BF%92
つまりは、軍旗将棋のようなことをしているだけです。
…ところで、私の経験によると、一生懸命に頑張っている人ほど、学歴の偏見が少ないです。
たとえば、学者であれば、一生懸命にやった人は、東大大学院を出てある国立大の准教授になったAより、大東文化大の院生のB君の方ができる…そういう例をたくさん知っているからです。
会社もそうです。会社員で、仕事ができるかできないかが、東大>慶応>一般大 のようになるという認識を持っている人はいません。
有名大学卒は、例外はあるが概ね技術の収得は早い。しかし、必ずしも会社のプラスになるとは限らない。
これが普通の認識でしょうね。
二次大戦のエリート軍人は頑張るような環境になかった。
勉強しようにも、勉強内容が与えられなかった。(山本五十六などの語学力は、個人の努力でしょうね。)
だからこそ、他人の足の引っ張り合いに血道を上げた。
こういうことでしょう。
頑張る環境になかったというのは、
文系が壊滅的
理系は直接かかわらなかった
ということです。
理系の場合は、兵器の設計などをしなかった。それなら、システムを考えて運用するべきですが、システムという考え方そのものがなかった…ということです。
たとえば、三川軍一は、簡単に沈められる丸腰のアメリカの輸送船を攻撃しませんでした。「命令がなかった」からです。
御巣鷹山の惨事の際に、山頂に一番早く上ったのは民間人でした。自衛隊と警察が縄張り争いをしていたからです。
阪神淡路大震災の際には、鳥取県の救急車が兵庫県との県境に待機して、何もしなかった。指揮権がある鳥取県知事の命令がなかったからです。
システムという考え方がないのは、現在の日本も同じです。
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