mixiユーザー(id:2670797)

2022年07月26日09:50

102 view

人生最初のアルバイト。

調理師学校はアルバイトの求人がある。

私が入る数年前は、先生曰く、
夏休みは、ふだんアルバイトしてない生徒まで、京都の料亭料理屋に散らばされて、
アルバイトさせることを授業の一環にしてたと。
でどんな仕事したのかレポートに書いて提出させてたそうで。
そしたら、その生徒の中に
「ずっと店の家の子の、子守だけしてました」って生徒が居て、
これじゃあ意味がない、ってことでやめたと。

その学校から歩いてすぐの河原町六角の大きな木造の建物の鰻屋でバイトした。
他の店ならともかく、学校や駅から近かっただけで選んで。
その店の前で老人男性が着物着て客を呼び込んでるのがちょと名物。
通ってる人が見たら、そこの主人か料理長か、と思うような風貌の人。
包丁も握ったことも無い、呼び込み専用の人。
中でお運びも接待も全くしない人で。
お運びのバイト学生は京大生もいたとか。
調理場は、丼を蒸し器で蒸して熱々の状態で飯を盛る。
それを素手でとるのが、とんでも熱い。
当時、坊ちゃんだったので、手の皮なんか薄いから
熱いのなんの、それを観ながら、年寄りの飯守りが
私をバカにする。でもその年寄りの従業員、飯守りだけが仕事。
ほかなんも出来ない。
他の調理師さんは優しかった。

人生初の、自分が料理して、他人が食べるのを観たのが、出し巻。
自分で初めて作って、調理場と客席を結ぶ出し口から
遠い客が出し巻食べたのを、じーっと見た記憶は鮮明に残ってて。
、、よく巻くの失敗したけど。

「塩尻君、君の刺した鰻、落ちるんじゃあ!」と
怒られたこともあるが、串うち何年とかいう世界で、
普通アルバイトにさせるほうがおかしいやろ、と。

他の淡水魚の料理もある。どじょうの柳川鍋も
そこで一匹ずつ捌いてごぼうを敷いた鉄の皿に並べ、ドロッとしたタレを
かけ、重ねて冷凍しておく、注文が来たら一枚とって
出汁をかけ、溶き卵をかけて、すこし焼いた土鍋に入れて客に出す、
900円くらいだったと思う、これは食べては無い。

鯉の洗い、は、食べさせてもらった。
刺身に下して氷水で閉めるとすこしコリコリっとした身になるのを
酢味噌で食べるのだが、酢味噌も初めてで、
中骨がついたまま刺身にするので、それをしらないから
食べて、骨がありますね、と言うと、それが当り前じゃけと言われて。
、、そんなに美味しいモノではないが、
京都では御馳走で。

で従業員の飯は、昼飯が、汁の多い汁とご飯。
晩飯は何か一品とご飯。
たまたま私が休んだ時、
一品がとんかつ時があって、店ん中、祭だったそうだ。
よっぽどそんなおかずが出ることが無かった店だと知る。
鰻屋なので、焼台があるから、串焼きの焼き鳥もあった。
それを表の客席の、
洋で言うところのフロアマネージャーがおかずが足らんので自分で注文してた。
関西で言う”しぶちん”とか、まだまだ奉公人の世界など
残ってんだろうなと、後から気付いて。
ただし漬物だけは食べ放題。いつも食卓に大皿でどかんと乗せられてて。
何か一種類、赤いの青いの白いの黄色いの、
当時漬物食べられなかった私はこれで食べられるようになったのが
今となっては有難い。 
人間これしか食うものないとなると好き嫌い無くなる。
で、京都の漬物は美味しいと知る。
(どうも岡山の漬物は不味い。)
鰻は端がでても、刻んで、うざく、と言う胡瓜と混ぜての酢の物か、
鰻巻(うまき)という、刻んだ鰻を卵で巻く出し巻にするので
残さないからおかずで出ないし、つまみ食いも出来ない。
なので
鰻が晩飯で出たのは土用の丑の日だけ。
それも並以下の量。それでも大御馳走。
2階の畳敷きの大広間、今、店のHPを観たら
90人は入ると書いてある広間に、春にバイトして入ってから、初めて入り、
初めてそこで座って食べさせてくれた。

その店でつらかったことは無かったが、
先に食のほうで世間を勉強させてもらった。
この次の店は本格的な京料理のあまりモノ、
次の店は
山科の普通の家庭の地の料理を晩飯で食べることになる。
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2022年07月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る