前作のトップガンは、ありとあらゆる意味で青春物語だったけど、
今回はなんと「家族」の物語だったのね。
映画は、マーヴェリックことピートが自家用飛行機の手入れをするシーンではじまる。
機械油で薄汚れたTシャツ着て、でかいねじ回しでエンジンを調整している。
トップシーンでは、このあと彼は着替えて(Tシャツだけ)
ワッペンだらけの革ジャンを羽織って、カワサキのバイクで出かけていく。
行く先は海軍の航空機開発工場で、マッハ10を出せる飛行機のテストだ。
たっぷり酸素を吸ってから宇宙服のヘルメットみたいなのをかぶり、
小さい尖った宇宙船みたいな飛行機に乗り込む。
「上」からは「無人機がこれからの主流」だから開発中止の命令が出ている。
でも、開発チームと、マーヴェリックはあきらめない。
マッハ10は上記したような準備をしても、人体への負担はすさまじい。
同じマッハ10を出すなら無人機のほうが安全だ、とワシでも思う。
それでもマーヴェリックはパイロットが乗る飛行機にこだわる。
戦闘機の能力はパイロットの腕による、と信じているから。
そうじゃない時代になりつつあるのは知らないわけじゃないけど、
今すぐはまだそういう時代になってないから。
高性能の戦闘機を飛ばすために高い能力のパイロットを必要とした時代は
実は本当に終わりつつある。
ウクライナの戦闘で「ロシア戦車爆撃」がドローン(無人機)で行われているので、
マーヴェリックが信じるほど、パイロット不要になるのは遠くない未来だ。
そしてもちろん、マーヴェリック自身の能力にも限界がある。
年を取るのは止められない。
今回の映画で「マーヴェリック自身の限界」を描かなかったのは一種の愛、
この映画とトム・クルーズのファンへの愛だと思う。
常に戦闘機パイロットとしての最前線にい続けたマーヴェリック。
危険な現場が当たり前の日常では、家族を作る暇などなかったし、
そんな気持ちになれなかっただろう。
でもラストシーン、ファーストシーンと同じように汚れたTシャツでねじを回す彼。
その傍らには「息子」が、正確には親友グースの息子が立っている。
格納庫に駆け込んでくるのは「娘」(今度こそママを大事にして!)、
整備した飛行機にいっしょに乗り込むのはペニー。
青春の日に愛した人が、結局最後まで愛する人になるのは、素晴らしい。
…普通、そんなことは起きないので。
戦闘機からは降りても、マーヴェリックの青春はいつまでも続く。
家族の愛に包まれた新しいフェーズに入って。
どうぞお幸せに、と拍手といっしょに叫びたいラストシーンだ。
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