マツコの「幸福を感じない人が食に走る」発言に共感の嵐!精神科医が仕組みを解説
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生き方、幸福…というと、どうしても一面的になります。
『金剛般若波羅蜜多経』(いわゆる金剛経)には、
「数えられた塵は本当の塵ではない。だからこそ数えることが出来る」とあります。
その物事の持つ意味は、全体のごく一部だからこそ、言語化できるという意味です。
結論から言うと、この記事に書いてあることは、ごく一部の状態を描写したものにすぎません。
アドラー心理学は、ヨーロッパのブルジョアにしか当てはまらないという意見がありますが、そうでしょうね。世の中には、相手との競争や勝ち負けというものから自由である人も多いです。そういう人は、アドラー心理学を、ピンとこないと感じるのではないでしょうか。
この記事の後半のアランも同じだと思います。
私はアランの考えは、何かを目指しながら達成できない人の、多分に自己肯定的な人生論だと思います。
本当の幸福とは、何かをやる、達成するということと無関係なところにあると思います。
だから、快楽として捉えることは出来ませんし、まして、お金に還元することや、他者との序列すなわち勝ち負けだのランクだのと考えることもできません。
私は、勉強して論文を書いています。その経験からいいますと、
出世や名誉を目指して書いた論文は、ほぼ間違いなくダメです。
これは私のことではありません。そういう人の論文は読むに値しないということです。誰しも出世欲はあるでしょうが、出世欲がメインになってはダメでしょう。
(偉そうに語ってしまい、申し訳ありません)
だから、当然、挫折する。
その挫折した人の取る正当化の途は、二つあります。
1 査読者が悪い などと他罰的に考える。
2 困難に向かっていくプロセスが幸福だと、アランのように考える。
この二つに嵌まった人は、食べて、あるいは酒を飲んで、あるいは異性と戯れて
心の隙間を埋めるでしょう。
もちろん、何かに打ち込んで幸福を感じることはあります。
しかし、それは、目標があるからではなく、ないからです。そのこと自体が楽しいからです。だからこそ他の研究者の誉め言葉は「面白く拝見しました」「楽しく読みました」であって、
「旧帝大の教授並みです」なんて誉め言葉はあり得ません。
楽しさは、全ての世俗的なものを超越しているからです。
食も同じです。
うまいから食う。
「飢え来れば食し、寒来れば被るばかりなれば、大地をも踏み外すとも、道を踏み外すことはあるまじき」
この明恵の言葉は千金の重みがあります。
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