こういうことがありました。
ある生徒が非常に不機嫌な顔でいて、話しかけたり目が合ってもにらみつけるという状態です。
ちょっと考えましたが、ある同僚のいう言葉を思い出しました。
同領と言っても、大手予備校で長年続けている人。何らかの大きな長所がある人です。
だめならすぐに首になる世界ですから。彼は授業のコツとして、
「つまらなそうにしているヤツや批判的なヤツの顔を。絶対に見ない」と言っていました。
よし。それで行こう。
そうしたら、支障がなくなりました。
ある悪いことをチラッと考えると、それが実現してしまうという現象があります。
あるお医者さんは、「医者は自分がかかる病気を専攻する」と言っていました。私は医者ではないので、どの程度いえるかわかりませんが、
たとえば、「平凡で貧しい暮らしだが、身体が健康で幸せだ。」と口にした人がいます。何でことさらそんなことを言うのだろうと思ったら、次の月に重い病気になっていたということは、日ごろ観察されます。
この人の場合や、(仮に本当だとして)自分がかかる病気を専攻してしまう医師の場合、
<病気にかかりやすい傾向を持つという、事実。>
↓
<それに対応した発言や行動>
という因果関係ですから、無意識のうちに、自分の病気になりやすい傾向について気が付いているなどと理由づけることが出来ますし、万人が納得する因果関係でしょう。
ところが、この逆があると思います。
<相手の不機嫌や悪い態度を気にしない>
↓
<相手の心が平穏になる>
まあ。これは、相手の心が和やかになるなどの説明も可能でしょう。しかし、それだけではなく、人間が感知できない玄妙な因果関係もあると思います
もっと、凄まじ因果関係も体験したことがありますから。
<給与の不払いを悩まない>
↓
<遅れている給与が振り込まれる>
A君という中国の学術の甥弟子に当たる、オステオパシーの療術家に、「報酬の支払いが遅れている。ぼくの体を治して、報酬を払わせるようにしてくれ」と言ったら、本当に、支払われたという体験があります。
あれは、何だったのでしょう。
A君は、療術家であると同時に理系のトップエリートです。いくら仲が良くても、彼にそういう、一見、非科学的なことを言えた自分に今も驚いています。
話を戻します。
コロナのために不機嫌になっているのでしょうか、世の中には、周囲をにらみつけるようにして歩いている人がいます。
良くないですね。そうやっていると、愉快不愉快の問題ではなく、本当に不幸が訪れます。
「慈眼視衆生」などという言葉が、観音経にも出てくるではないですか。この言葉は、単なる道学趣味ではなく、現実を変える重要なことだから、仏典に繰り返されるのだと思います。
それを自分が実践する。自他ともに幸福になる道だと思っています。
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