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2022年02月21日15:49

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2/21 奈良三輪山の「出雲屋敷」(FBから転載)

ヤタガラスの娘

奈良三輪山の「出雲屋敷」

ヤタガラスの孫姫タタラ五十鈴姫と五十鈴依姫(イスケヨリ)の姉妹が居住していたという「狭井(さい)」。
添付の大神神社の注釈は正確でない。
「狭井」をただ山百合としているが正しくは「笹百合」。

タタラヒメら古代祭祀家
鉱脈掘削、製鉄職掌の家からすれば「鉱脈の指標」ともされる花が笹百合。
タタラ五十鈴姫姉妹は、神武と、二代が婿入する皇后であり姫巫女。

3世紀半ば卑弥呼の時代
物部と豊国の連合国が瀬戸内海から大和へ攻め込んだのが「第2次物部東征」で記紀は「2度の東征」をひとつにまとめ、神武という架空の人物を描いているのだとか。
「向(富)王家(コトシロヌシ)」を継ぐ者たちニギハヤヒと市杵島姫(三島家コノハナ)の娘
穂屋姫との間に海村雲(記紀では天村雲)事代主の息子クシヒカタは母の実家である攝津(大阪)三島へ移住。
母、玉櫛姫(活玉依姫)は祭祀と海運、製鉄の古代豪族三島家の姫。
それで出雲は、攝津や瀬戸内の島々、伊予、吉備と繋がれた。

玉櫛姫(セヤダタラ)は攝津に戻ると水田開発を指導し、川の水を分け溝(水路)を作り、三島溝杭ミゾクイ姫とも呼ばれ、灌漑の神としても崇められた。
クシヒカタは攝津の人たちを連れ葛城地方、現在の御所(ごせ)市付近へ移住。
クシヒカタが、登美(コトシロヌシの家)家と名乗る。
やがて葛城から磯城方面に移り磯城登美家とも呼ばれた。
登美の分家の女性が代々サルタ彦大神を祀ったので猿女家と呼ばれた。

クシヒカタの妹としてのタタラ五十鈴姫海村雲(神武)が婿入した三島ミゾクイ耳の孫姫
一部の出雲人は伊勢国に移住し、幸の神を椿大神社に移したそう。
『出雲と大和のあけぼの』斎木雲洲
【引用】
http://somosora.hateblo.jp/.../%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82...

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