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2022年02月05日21:00

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『ごん GON,THE LITTLE FOX』

WOWOWで矢代健志監督のストップモーション・アニメーション映画
『ごん GON,THE LITTLE FOX』を観る。
なかなか観るチャンスがなくて、やっと観られた。
最後に泣いてしまうのではと思っていたがとんでもない、中盤のごんと母狐の別れにしたたかに心を衝かれ、後はずっと涙目で観ていた。
日本人なら誰もが知る新美南吉の哀切な児童文学『ごん狐』を原作に、脚本も兼ねる監督が存分に脚色、28分のストップモーション・アニメーションに仕立てた。
狐の子ごんを人間の視点では子狐、ごんの主観では狐の毛皮をまとった男の子の姿にした着想が独創的で効果的だ。
人間の似姿をとることによって、母を失ったごんの孤独が際立ち、病で母を亡くした兵十の孤独と密かに響き合う。この物語が持つディスコミュニケーションの構造、けものと人の心が通じ合わないことからくる悲劇の結末が避け難く待つにも関わらず。そこが一層悲しい。
この作品には、兵十の視点、狐のごんの視点の他に、観客の視点が存在する。
観客は兵十の視点、ごんの視点、その両方に通じる。どちらかにしか見えていないものを両方とも見ることが出来る。
それゆえに避け難い悲劇をなんとか止めることは出来ないかと心を巡らせて物語を見つめる。高い没入感が生まれ感情移入が誘われる。

兵十も元の話よりも暮らしぶりが詳しく創造され、気弱で生き物の命を奪うことを躊躇するような心優しい若者として描かれる。そして、その優しさは周囲の大人には頼りなさとして映り、叱咤され、独り立ちを強要される。理解者だった母も喪う。生き苦しい日々。
彼が抱えるディスコミュニケーションは人とけものだけでなく、同じ人との間にもある。この点で兵十は、元の話が書かれた1932年よりも現代の若者に近い存在と言える。

狐と人間。ごんの境遇も、彼が自分に示し続ける無言の奉仕も償いの気持ちも兵十は何ひとつ知り得ない。絶望的なディスコミュニケーションの構造。
ごんの善意が重なることで却って誤解が生まれ、兵十は自らに自立を課し、進んで手にしてはこなかった猟銃を取り、獲物(ごん)を狙うことになる遣り切れなさ。
物語を超えて、暴力装置としての銃のありようさえも考えてしまう。

悲劇の瞬間の光の演出の巧みさ。最後の最後で僅かに通じ合う両者の心の哀しさ。
カメラは上がり、神の目線、第4の視点に達する。人もけものも命が相対化される。
原作の持つ普遍性を更に超えて現代の寓話として物語が広がる。
兵十の放つ銃声は、現実の世界を覆う分断と対立の構図、孤立を深める生き苦しい世の中を照射して響く。

『ごん狐』は新美南吉の故郷である愛知県半田市が舞台とされるが、日本の原風景を感じる美しく懐かしい里山の風景が画面に広がる。
ススキが生い茂る野原や本物と見紛うばかりの茅葺き屋根の家など、雄大な舞台美術が圧巻で、どれ程の大きさのセットを組んだことかと想像し圧倒される。
静かな風景ばかりか、ごんを追って走る兵十を正面から捉えた場面など、ストップモーションには珍しい挑戦的な躍動感もある。
市内を流れる矢勝川をイメージしたという清流が流れ、実際の矢勝川沿いに広がる彼岸花の群生をも再現したそうで、一面の赤い彼岸花を1本1本手植えして舞台を整えたという。
水の流れには実際の水も使われ、ススキも本物。栗、きのこ、アケビなどの自然の恵みも精緻に作られ、そこに生きる実感が湧き立つ。
日本人が日本を舞台にした時にこそ最高の効果が醸し出されることが伝わってくる。
監督自ら木彫を手がけたという、汚しの入った木彫りの人形の素朴な風情がそこによく似合う。
卓越したストップモーションの技術によって、本来は動かない木彫りの人形に命が宿り、世界の1コマ1コマが息づく。
それ故に一発の銃声がそれらを引き裂くラストが悲しい。

幼さの残るごんの声は田中誠人、ナイーヴな兵十は入野自由。ともに心に沁みる。

制作のTECARATさんの作品にはいつも手作りの温もりを感じる。
最初に出会ったのはもう無くなってしまった広島国際アニメーションフェスティバルの際。プログラム外の持ち込み企画で『眠れない夜の月』を拝見し、スタッフの方の解説と人形も見せていただいて至福の時間だった。
プラネタリウム用の作品を手がけられていることもあって、なかなか出会える機会が少ないのだが、以来ずっと注目している。
この先も出会いの機会がありますように。
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