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2021年12月25日09:11

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寛政の改革を行った老中

厳しい寛政の改革を行った老中と言えば、松平定信です。江戸時代中頃の大名です。老中となり、寛政の改革を行ないました。厳しい倹約を命じるとともに、農業を重視し、飢饉に備えて、米を蓄えさせたりしました。また朱子学以外の学問を禁じました。

松平定信は、徳川吉宗の孫にあたります。定信が白河藩(今の福島県)の藩主のとき、天命の大飢饉がありました。しかし倹約と米の手配などで、藩内で一人の餓死者も出しませんでした。そのことが幕府から認められ、定信は老中として、十一代将軍・家斉を助けることになりました。

それまでは、田沼意次という老中が政治の中心にいました。意次は経済活動を活発にして、大商人の力をかり、新田開発や干拓工事を行いました。また、同業者の組合である株仲間を認めるかわりに税をおさめさせたりして、幕府の財政を立て直そうとしました。

しかし、商人を保護する政策は、反対派から、「わいろ政治」と批判を受けていました。田沼が老中をやめさせられると、老中となった定信は、厳しい倹約を命じました。そして商業よりも農業を重視し、飢饉に備えて米を蓄えさせました(囲い米)。

また、朱子学以外の学問を禁じ、幕府を批判する書物を取り締まりました。これらの改革を「寛政の改革」といいます。しかし、定信の厳しい改革は、庶民からの反発をまねきました。定信は改革の途中で老中をやめさせられ、あまり大きな成果はあげられませんでした。

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