10月17日、御所駅から大和葛城山に登ってきました
その前の夜、日記に何度か登場している奈良まち椿井市場にまた行ってきました。
名物「夫婦饅頭」はこちらの店舗での営業は止めて、全日屋台販売に切り替えたそうです。
そして中華「大廣」へ。
今回は「タンメン」、素晴らしい
おかずは「豚ロース天ぷら」。唐揚げとかじゃ無いんです。山椒塩で頂きます。野菜付きの形容し難い不思議な天ぷらですが美味しい事は間違いありません。
ニコンF2ユーザーの大将とカメラ談義開始。店中に掲示している見事な奈良山中の紅葉写真は実はポスターではなく大将自ら大判で撮って焼いたものでした。美味いものを計量無しで見事に完成させるセンスの持ち主ですから、当然撮影の場では結果が分からずやり直しが出来ないスティール写真(しかも一枚勝負の大判)でも同じ方法論が適用出来るのです。
「近鉄御所」駅近くの踏切から見上げる葛城山。
この日は雨の予報でしたが、朝から既に山頂が見えて勝利感満点です。
バスでロープウェイ(索道)「葛城山登山口」駅へ。
まだ夏日が続く気温なれど、山頂は7度です。
駅の脇が登山口。
登山道は索道の下をジグザグに通ってます。
勿論、山頂へはロープウェイを使いますよ。
予報は雨だったのに、朝から結構沢山のお客が乗り込み驚きます。
大量の小型ゴンドラを輪型の索に吊るして動かす標準的な自動循環式ではなく、ケーブルカーの様に釣瓶の索で繋がった2基の大型ゴンドラを交互に行ったり来たりさせるタイプの「3線交走式普通索道」です。
東北東の方角を見ています。
背景は高見山地、大和盆地には大和三山(耳成山・畝傍山・天香久山)や古墳が並びます。
索道は近鉄が運営してるだけあって、乗客の女性達は新旧ビスタカー色のジャケットを着ていて驚きます。
「葛城山上」駅から眼下の眺め、左に葛城市、大和高田市、中心に橿原市、桜井市、右に御所市、明日香村です。
北方、生駒山の方角です。
奈良市街のアップ。
東大寺や若草山がハッキリ見えます。
北北西、東大阪方向のアップ。
万博記念公園の「太陽の塔」や観覧車まで見えるのが驚きです。
「葛城天神社」は素通りして頂上を目指します。
雨後の「オオユウガギク」、周辺はブナ林です。
東方向。明日香村、高取町。
山頂手前の「白樺食堂」がコロナ禍対策?で閉店したままでガックリです(結局この日は夜まで何も食べられない羽目に)
山頂(959.7m)に到着、右下は三角点です。
山頂ポストあり。
北西、大阪市街中心方向。
西北西、大阪港、神戸方向。
西、関空、淡路島方向。写真では分かりませんが明石大橋も見えました。
南西、千早赤阪村方向ですが、画面左に雲海が・・・
南方向、「千早城」「金剛山」は完全に雲に隠れています、ガガーリン!
「オレなら千早城を空から攻めるねっ!」(声:田中亮一)って感じで高揚して来てみればこのザマですよ。おのれ楠木正成、妖術を使いおって!!
南東、「吉野」方向に視線を移すと再び雲が晴れてきます・・・
東南東、高取町方向。山頂周辺はススキ野でした。
食堂もやって無いし、金剛山大要塞(笑)も見えないので山を降ります。観光・登山客はこれから登って来る時間帯なのでロープウェイ下りは貸切状態でした。
南南東、吉野町、下市町、五條市方向。山林の植生が標高で変化するのも見逃せません。
「奥田捨篠池」の辺りが神々しくスポットライトが当たったように輝いてます。
畝傍山の向こうに古代の神々が国の中心を据えた理由が肉眼で見降ろして地形を掌握出来る構図なら一目瞭然ですね。
葛城山(金剛山系)は大陸由来の花崗岩、見下ろす盆地は当然そこからの堆積物です。大和三山は流紋岩で最近の火山だと分かります。背景の高見山地はやはり大陸由来ですが石英閃緑岩であり、盆地を挟んで全く異なる地質が向き合っていて面白いです。さらに南の五条市には東西に中央構造線が走っており、南方はまた地質がガラリと変わるという地学マニア垂涎の土地柄とも言えます。地質の三位一体が神々の国を生み出したのも当然の事と思えます。
釣瓶式索道なのでゴンドラは2基のみです。
眼下には登山道や「安位川」と砂防堰堤が見えますが、名所の不動の滝や櫛羅の滝は見えません。
「マメアサガオ」。登山口近辺に結構群生しています。
「ミヤマコウゾリナ」か「ヤナギタンポポ」だと思うのですが、葉と茎の特徴から後者かと。
登山口駅付近から望遠を効かせて見た大和三山。
かなり下って来たのが分かります。
駅南側に安位川が流れており、葛城山の神社への参道が平行しています。
ここからバスの通る為の新道(櫛羅御所線)ではなく、古道(参道)を下ります。
中腹の堰堤群は鋼製透過型ですね。砂防より流木や石を止める事を重視するようです。
祠と水質検査装置?
下るにつれ植生がさらに変わって行くのが分かります。
側溝に流れる水が当然のように綺麗ですが、それより排水?のパイプ組みが気に成ります。
「流不動明王」。
石仏と町石はクジラ石(花崗岩)で、地名の櫛羅が石の名に成ったのか、石の名が地名と成ったのか・・・
注目すべきは石仏ではなく七百年前(鎌倉末期)の町石で、元々櫛羅の滝辺りにあった「安位寺」のもの。
流不動明王から道の正面は御所市街。
ザクロの木の先に味わい深い農家が。
葛城山東側には南北に3本並行して断層が走っていますが、この真下が西端の断層です。
左手の蓋は「総督装置」でしょうか。
その上のススメバチの巣に注目。
絶賛営業中。
登山口方向、坂道一番向こうの建物が流不動明王。
ここの三叉路を古道を下らず東の新道方向へ。
この高さで周囲は既に棚田に成ってます。が、次々にソーラーパネルに置き換わって行くようで、この安易さに不安の念を抱かずにはいられません。
新道脇の謎の施設。門柱代わりのポストも水車も対に成ってます。
トイレもあるし登山口駅で団体客を回収するまでの観光バスの待機所でしょうか。
新道とはいえこの地点では元々「葛城古道」で、重複部を盛り土して拡幅したようです。
葛城山だけど御所市です。
索道を見上げます。
眼下の御所市街。
太く真っ直ぐな道は櫛羅御所線のバイバス。言わば新々道。
右手の森は「櫛羅陣屋」跡。私有地で中には入れません。木立ち中ほどの道が葛城古道(現新道)で陣屋は古道のU字カーブ突出部沿いに設けられた事が分かります。
この標高に古道がある一つの理由は、大和盆地の底は灌漑が進むまでは湿地帯が多く、常時行き来するにはある程度の高さに街道を作った方が有利だったのではないでしょうか?
さらに左に目を向けると・・・・
羊が居ます。
登山口へと向かう新道と分岐し葛城古道を北へ向かいます。
再び大和三山の眺め、凄い近いように写ってますが・・・
実際の距離感はこんな感じ。
苦笑するしかない看板の文言。
道標の杭のすぐ上に小さく「葛木坐火雷神社」別名「笛吹神社」の鳥居が見えます。
ケーブルカーの見える風景。
葛城市に入りました。
既に扇状地地形まで降りてきてますが勾配はまだまだキツイです。
点々と個性的建築法の建物があって、統一感のある御所市との自治体の境を越えた実感が得られます。
葛木坐火雷神社(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)に到着です。
http://fuefukijinja.org/
この真下を南北に断層が走ります。よくある断層上の神社です。
鳥居は全て丸材の組み合わせの真新しいコンクリート外宮鳥居でシンプルかつゴツいです。
境内は天然記念物「イチイガシ」の名所でもあり、占いに使われたウワミザクラもあります。
そしてモミジも。
左手の手水舎はご時世柄使用出来ません。
右手には「御百度石」、その奥には熊野神社、稲荷神社、春日神社の祠が並びます。
階段を上がると何やら大砲が見えますが、まずはお参りの為に右手の階段上の拝殿へと向かいます。
というか、全く誰も居ません。
拝殿でお参りします。
神社は経済的に潤っているらしく、氏子が社務所から出て来なくても自動で色々出来る為の装置が沢山あって驚きます。
拝殿の裏側の補強鉄骨が見物なのですが、本殿聖域にかかってしまうのでお見せ出来ないのが残念です。
奉納されてる絵馬の9割5分以上が鬼滅ネタ・・・
作品に直接登場する訳では無いものの、キャラクターに関わる技の名前が似てるという理由でSNS拡散聖地と成った模様です。
絵馬は社務所で非対面で購入出来、テーブルや椅子、サインペンも用意されてます。
が、お参りしてあやかろうと考えるファンの方々は良いのですが、例によって撮影だけが目的のコスプレイヤー+カメラ小僧が次々と来て傍若無人に振舞い荒らして行くので困っているようです。
鬼滅荒らしレイヤーの他にも、「お炊き上げ代行」を名乗る詐欺サイトに特約神社として無許可に掲載され迷惑しているみたいですね。おそらく御朱印転売も勝手に行われてると思われます。
余談ですが、鬼滅遊郭編のスタートで、撮影ご法度(場所によっては女性の侵入も憚られる)の旧遊郭(現新地)に繰り出し好き放題やって地域関係者と揉めて流血沙汰事件を引き起こすカメコ&レイヤーが現れないか危惧しています。
聖域である本殿の隣には笛吹連七代目「健多乎利命」古墳があり、ここから西側は神山と呼ばれます。因みに現在の宮司は笛吹連84代目に成ります。
拝殿前より大砲を見下ろします。
凄いコンディションが良さそうで驚きます。
碑には「この大砲は日露戦役の記念として明治四十二年六月に政府より当神社へ奉献された露国製加農攻守城砲で昭和五十一年春に今上陛下(注:昭和天皇)御在位五十年を記念して有志の寄進により車輪を修復した」とあります。
戦時中の金属供出も逃れて大切にされていた事が状態からも分かります。
一目見て分かる通り、クルップ砲ですね。日本では「克式砲」と呼ばれます。
黎明期の後装砲には3つの流れがあり、クルップ(独)・アームストロング(英)・シュナイダー(仏)式として分けられます。このうちアームストロング式は他の2者に比べると合理性に欠け事故もありすぐに廃れました(日露戦争などで有名なアームストロング砲は構造的に仏式です)
今日では速射砲や自動砲はクルップ式の子孫、重砲は仏式の子孫に成ります。
余談ながら発明期のクルップ砲は函館五稜郭で観る事が出来ます。本砲と閉鎖器周辺を見比べると、どう洗練されていったかが分かります。
クルップ砲の最大の特徴である閉鎖器の尾栓を取り外した事で発砲不能(つまり兵器ではない)の展示物条件をクリアしています。
この形式のクルップ砲は当時のロシア陸海軍共に標準装備と成っており、日露戦争の鹵獲品で間違いないと思います。
ただ見た目の工作精度が余りに良いので、ロシア製ではなく独クルップ社で製造されたオリジナルをロシアが輸入したものである可能性が高いと思うのですが、いかがでしょうか。
砲身の上の刻印を確かめられないのが残念ですね。
駐退兼複座機もちゃんと有るのに驚かされます。
神社を守ってる風情です。
方位を迅速に変え、微調整も用意な扇型プレートもあり、外された尾栓と修復された車輪以外は全て元々の部品が揃っています。
普通展示されてる大砲は砲身を塞いで発砲不能としてますが、この砲は筒抜けで向こうが見えます。
ライフリングも奇麗に残ってます。
砲耳の下の輪は砲架を吊るすアイボルト、砲後方の横向きの穴は閉鎖器が差し込まれスライドして開閉させる為のもの。
上のレバーは閉鎖器をロックするもの。後ろの穴のフック状のものはラマー(装填棒)に結ばれたロープを反転させて引いて弾を込める為のもの。
下のパイプ状は駐退兼複座機。前方をスパイクで地面に固定して、発砲の反動を吸収し後ろに下がった砲架を元の位置に戻す装置。
水平の板は地形に応じて角度が変えられる装填台。
各ボルトには緩み止めのピンがちゃんと残っており、どうやって百十五年も雨ざらしで腐食せずに維持出来たのか驚愕します。
チェーンの付いたピンは、分解輸送・設置組立時に砲耳の上部を迅速に解放・取付が出来るようにする為の固定装置。
その上の砲身から出た針状は、直接照準の為の照星。
尾栓さえ取り付ければ今でも発砲可能ではないかと思う程に良好なコンディションです。
とにかく機械歴史遺産として超一級品で凄いものを見ました。
森本神社、浅間神社、空室神社、梅室神社の祠が大砲の奥に並びます。
神社を後にします。
櫛羅御所線ともまた違う建物の風情が味わい深いです。
柿の木とお地蔵様(名称不明)
お地蔵さまの脇にある「ケーキハウス アドレ」。
失礼ながら凄い辺鄙な立地にもかかわらず、お客が近くの駐車場に車を停めて入れ替わり立ち代わり途切れなくやって来て驚きます。
https://page.line.me/ykl6738g
ハロウィン装飾のお家も意外とあります。
通りかかると骸骨が突如ウクレレを弾いて演奏し始めたんでビックリしました。
葛城古道〜御所市街編に続く。
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