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2021年12月14日05:16

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江戸幕府最後の将軍の行く末

大政奉還をした江戸幕府最後の将軍と言えば第15代将軍・徳川慶喜です。幕府の軍隊の改革を行い、幕府の力を回復させるため努力しましたが、幕府をたおす勢力の勢いを止められず、大政奉還を行い、これによって江戸幕府は滅んだのです。

徳川慶喜は、水戸藩(今の茨城県)の大名・徳川斉昭の子にうまれました。慶喜は、十四代将軍・家茂の死後、1866年に十五代将軍になりました。慶喜は、力のおとろえた幕府を強くするため、フランスの力をかりて西洋式の軍隊をつくりました。

しかし坂本龍馬の働きで、薩長同盟が結ばれ、幕府をたおす勢力(倒幕派)の力がさらに強くなりました。この勢いを止めることはもはや難しくなったと判断した慶喜は、前土佐藩主・山内豊信のすすめを受け入れ、1867年、朝廷に政権を返す大政奉還を行いました。

こうして約260年続いた江戸幕府は終わりました。慶喜は、政権を返したものの、新政府の高い地位について政治にかかわろうとしていました。しかし倒幕派は王政復古の大号令を出し、徳川家を新政府からしめ出しました。

領地まで取り上げられることになった慶喜は、薩摩藩にしむけられて、軍をひきいて京都へ攻め込みましたが、新政府軍に敗れました。慶喜は江戸へ逃げ帰ると、勝海舟の意見を取り入れて江戸城を開け渡しました。その後、慶喜は静岡へこもり、のちに東京に出て一生を終えました。

静岡では、徳川慶喜と共に移住した家臣・山岡鉄舟たちと土地を開拓して茶畑を造り、これが日本一の茶の生産地へと発展したのです。静岡県の公園や名所へ行くと必ず山岡鉄舟の名前が刻まれています。さらに木村屋のアンパンを明治天皇へ献上し、西洋化を目指す日本にパンを広く伝える役目を果たしました。

その後、徳川慶喜はプロ級のカメラマンになりました。徳川幕末から明治時代を扱った多くのドラマでは、動乱の時代はさておき大政奉還のシーンに登場したあと、明治維新の立役者たちによる新政府が描かれることはあっても、最後の将軍の行く末が語られることはあまり見た事がありません。

実際のところ明治維新後の徳川慶喜は、1913年に77歳で亡くなるまでの46年間、多くの趣味をもって優雅に暮らしていたのです。その証拠に、将軍職を捨てて静岡に隠居していた時代には側室を持ち、21人の子どもをもうけているのです。

そんな徳川慶喜が若い頃から親しんだ刺繍、絵画のほか、陶器づくり、狩猟、サイクリングなどの趣味の中で、もっとも熱中したのは写真だったようです。もともと徳川慶喜は写真に撮られることを好んだようで、将軍時代の洋服姿の写真なども残されており、明治に入ってから自分でカメラを手にするようになったようです。

『将軍が撮った明治』(朝日新聞社刊)という写真集が出版されているほどです。晩年は東京で暮らしていますが、静岡時代にはとくに熱中し、写真スタジオから先生を招いたという記録も残っています。東京に戻ってからも写真への熱意は冷めず、撮影のために度々外出したり、現像まで行っていたそうです。

ただ、写真がたんに記録をとどめるものでなく芸術性をもつようになるのは、昭和に入ってからで、撮影の技術はともかく、芸術性の面では素直さだけがとりえというのが、現在のプロカメラマンの評価らしい。

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