mixiユーザー(id:250900)

2021年12月11日03:20

98 view

鍬山神社

 11月20日土曜日は、大己貴命(オオナムチノミコト)と誉田別尊(ホムダワケノミコト)を祭る京都府亀岡市の鍬山(クワヤマ)神社〔延喜式内社〕〔府社〕へ行って来ました。
フォト

 JR山陰本線亀岡駅で下車します。
フォト

 亀岡駅前には明智光秀が城主を務めた亀山城跡があり、光秀の銅像があります。
 https://www.google.com/maps/@35.0159953,135.5829593,17z
フォト

 令和元(2019)年に立てられた物です。
フォト

 当然、大河ドラマに因んだ物になります。
フォト

 亀岡市中心部では銀杏(イチョウ;Ginkgo biloba)並木が綺麗でした。
フォト

 こちらは羽毛鶏頭(ウモウケイトウ;Celosia argentea var. plumosa)です。
フォト

 鍬山神社は亀岡駅の南方3kmくらいの面降山(メンコウヤマ)東麓にあります。タクシーに乗っても良かったんですが、歩いて行きました。
 https://www.google.com/maps/@34.996996,135.5783459,17z
 やがて一の鳥居が見えて来ました。
フォト

 延宝元(1673)年に成立した『矢田之祠記』によると、往古、泥湖であった亀岡盆地の開発のため出雲大神が八神と黒柄岳で談合、一艘の樫の舟に乗り浮田(ウケタ)の峡、即ち保津峡を切り開き、水を山城国方向に流して抜く事に成功して広大な平野が開拓されたとされています。出雲大神とは大国主命(オオクニヌシノミコト)と同一神である大己貴命の事で、面降山の麓に祀られ、鍬山大明神として崇められる事となりました。また、この神は出雲国に於ける神無月(カンナヅキ)の会合には出席せず、郡内の八神は鍬山神社に会したとの事になっています。なお、開削に用いた鍬が山積みされた事が「鍬山」の由来とされ、八神にために八つの神田が設けられたため「八田」の地名も生まれました。
フォト

 面降山周辺には古墳も多く、山頂にかけて小祠が点在しており、また三宅地区は屯倉が設けられたとの伝承や、国衙ないし郡衙があったという説もあるため、面降山は一帯の祭政の中心であった可能性が高そうです。その後、和銅2(709)年に至って面降山裏手、現社地から北西800m程度の医王谷に社殿が創建されました。
 延長5(927)年成立の『延喜式神名帳』には「丹波国桑田郡 鍬山神社」と記載されており、医王谷出身の医家で、丹波介も務めた丹波康頼(912〜995)も鍬山神社をの熱心な信者であり、「医王谷」の名は康頼に由来しています。
 平家政権下で、従三位源頼政(1104〜80)が当地を拝領し、「八田」を「矢田」に改称しましたが、永万元(1165)年になって面降山に八幡神、即ち誉田別尊(応神天皇)が降臨したとされ、山頂には降臨地とされる影向石が残ります。要するに頼政が清和源氏の守護神とも言うべき八幡神を勧請(カンジョウ)したって事ですね。
 以来、八幡宮が鍬山宮の隣に祀られる事となりましたが、八幡神の使徒である鳩と、大国主命の使徒である兎の争いが起こったり、雷雨の発生が頻発したりしたため、村人は両神の不和と捉え、八幡宮を杉谷に遷したところ収まったとされています。現在、鍬山宮は兎、八幡宮は鳩の神紋を用いています。
 鍬山宮は寛正3(1462)年以来の棟札を現存しており、また、古くから神輿祭・八日祭・庭燎神楽(ニワビカグラ)・競馬・相撲・猿楽等の祭礼が行われていたと伝えられます。天正4(1576)年に丹波へ侵攻した明智光秀によりそれらの祭礼は廃され、八つの神田も接収されてしまいましたが、別当寺として大智院が建立されています。
 慶長14(1609)年、亀山藩主岡部長盛が現在地に鍬山宮・八幡宮の新社殿を同規模・同形式で並べて造営して遷し、社地も寄進しました。その際、両宮の争いを防ぐために間に小池が設けられて現在に至っています。
 寛永16(1639)年には亀山藩主菅沼定房から社領が寄進され、延宝9(1681)年には杉原守親が『祭礼中興記』を記して祭礼を再興、亀山藩主松平忠晴から神輿が寄進され、以来例大祭は口丹波一の大祭「亀山祭」として賑わいました。
 鍬山宮・八幡宮の本殿は文化11(1814)年に新造されましたが、別当寺の大智院は明治元(1868)年の神仏分離令で廃絶されてしまいました。
フォト

 現在、境内には多くの楓や満天星躑躅(ドウダンツツジ)が植えられ、紅葉の名所として有名になりました。また、「亀山祭」は明治以後「亀岡祭」と改称され、亀岡市内までの神幸が行われています。
フォト

 紅葉シーズンだけ拝観料が必要になります。
フォト

 300円です。
フォト

 二の鳥居です。
フォト

 二の鳥居を潜ると鮮やかな紅蓮の世界が広がっていました。
フォト

 神橋です。
フォト

 手洗い所はコロナ騒ぎで使用禁止になっていました…。
フォト

 神輿(ミコシ)庫です。
フォト

 二宮共通の拝殿です。
フォト

 鍬山宮本殿〔京都府登録文化財〕です。
フォト

 千鳥破風(チドリハフ)を有する柿葺(コケラブキ)一間社流造(イチゲンシャナガレヅクリ)で、正面に一間の唐破風造の拝所を付属して一体としています。
フォト

 八幡宮本殿〔京都府登録文化財〕です。
フォト

 鍬山宮本殿と全く同じ構造です。
フォト

 側面から見るとこんな感じです。
フォト

 弁天池です。
フォト

 後方に見えるのが拝殿です。
フォト

 弁天池の石橋です。
フォト

 弁天池の中の小島には市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)を祭る厳島(イツクシマ)社が鎮座します。
フォト

 市杵島姫神は本地垂迹説(ホンヂスイジャクセツ)によれば、弁財天(サラスヴァティー)と同一だとされています。
フォト

 弁天池周辺の紅葉が一番美しかったです。
フォト

 末社の愛宕(アタゴ)神社と天満宮です。
フォト

 末社の金山神社・樫船(カタフネ)神社・高樹神社・日吉神社・熊野神社、及び稲荷疱瘡(イナリモガサ)神社です。
フォト

 境内の紅葉で一番多かったのは伊呂波紅葉(イロハモミジ;Acer palmatum)でした。 
フォト

 山紅葉(ヤマモミジ;Acer palmatum var.matsumurae)はオレンジっぽい色合いになります。
フォト

 大紅葉(オオモミジ;Acer palmatum var.amoenum)もありました。
フォト

 楓以上に鮮やかだったのが満天星躑躅(ドウダンツツジ;Enkianthus perulatus)でした。
フォト

 その後、来た道を亀岡駅まで戻って山陰本線に乗り、二上駅で下車、TOHOシネマズ二条で映画を観てから京阪電車で帰阪しました。 
9 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2021年12月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031