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2021年11月16日18:27

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南方熊楠のフロックコート・・・

 昨夜、ネットのニュースを見ていたら、産経新聞の記事で、
 「昭和天皇への御進講時に着用、南方熊楠のコート修理へ」とのタイトルを見ました。
 南方熊楠(みなかた くまぐす)の名前を久しぶりに見たなぁと思いました。
 南方熊楠をご存知の方も多い方と思いますが、
 1867年5月18日(慶応3年4月15日)に生まれた、
 博物学者、生物学者、民俗学者ですが、
 これらの肩書では言い尽くせないような巨人だと言って良いかと思います。

 熊楠は、東京の大学予備門を落第後、
 アメリカに渡り、メキシコ・キューバを回って、
 イギリスで、大英博物館の職員になります。
 1900年(明治33年)、帰国すると、勝浦、那智を渡り歩き、
 菌類などの調査、採集を行いました。
 この間、自然保護運動にも取り組みます。
 熊楠については、とてもここに書き切れませんので、
 詳しくは下記のウィキペディアをご参照下さい。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%86%8A%E6%A5%A0

 1929年(昭和4年)6月1日、彼の研究が認められ、
 昭和天皇が神島(和歌山県田辺市)に行幸をした際、
 熊楠は粘菌などに関する進講を行いました。
 この日、彼はフロックコートを着用して神島を案内し、
 更にお召し艦である長門の船上で、25分間ご進講します。
 このとき、自らが作成した粘菌類の標本を、
 キャラメルの箱に入れて、天皇に献上しました。
 戦前の現人神と言われていた頃の天皇ですから、
 通常、献上品などは桐の箱などに入れられるものですが、
 南方の面目躍如となるエピソードだと思っています。
 ご進講が終わってから、彼は妻と一緒に記念撮影を行っていて、
 その写真は今も残っています。
 今回修復されるのが、このフロックコートのようです。

 1941年(昭和16年)、75歳で南方は死去します。
 1962年(昭和37年)昭和天皇は南紀白浜で、海上の神島を眺めつつ
 「雨にけふる 神島を見て 紀伊の国 生みし南方熊楠を思ふ」 と
 熊楠を偲ぶ歌を詠んでいます。
 昭和天皇がお会いになった数多くの人物達の中でも、
 特に印象深い人物だったのかも知れません。

 僕は、学生時代に平野威馬雄の本で知ったような記憶があります。
 平野威馬雄は、混血のフランス文学者ですが、お化けの研究でも知られた人で、
 南方熊楠についても早い時期に著作を著しています。
 ちなみに、一昨年亡くなったイラストレーターの和田誠の奥さんの平野レミさんは、
 平野威馬雄の娘さんです。
 その当時は、資料の散逸が心配されていましたが、
 現在は記念館もでき、熊楠の研究も進んでいるのかも知れません。

 熊楠は猥談が好きで、論文の中にも突然出て来る事があったようで、
 親交のあった柳田国男から注意は受けていたようです。
 心なき 身にもしたさは 知られけり 高野で行の 秋の夕暮
 などと言う狂歌も作っています。
 元歌は、西行の歌です。
 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫たつ沢の 秋の夕暮
 後に真言宗高野派管長にまでなった高僧土宜法龍師に宛てた、
 1903年(明治36年)7月18日付けの書簡の中に出て来るそうです。


【今日の一句】
 待ち遠しい 年金支給は まだかいな

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