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2021年11月14日01:56

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新宮・熊野市紀行16 熊野市中心部

 10月9日土曜日は獅子巌からJR熊野市駅前に出ました。
 https://www.google.com/maps/@33.8895254,136.0998973,19z
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 駅前にある熊野市文化交流センターです。
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 熊野市観光協会です。
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 二階の展示室では熊野市大花火大会の資料等が紹介されています。
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 熊野市大花火大会は約10000発が打ち上げられる豪華絢爛たる催しですが、今年はコロナ騒ぎで中止になってしまいました。
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 これから松本峠越え熊野古道へ向かうんですが、途中、熊野市中心部の史跡も少し回ってみる事にします。当地は江戸時代には木本浦(キノモトウラ)と呼ばれ、明治時代になると三重県南牟婁(ミナミムロ)郡木本町となりましたが、昭和29(1954)年の市制施行の際に熊野市と改名しました。
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 紀州藩奥熊野代官所跡です。
 https://www.google.com/maps/@33.8905672,136.1010319,19z
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 主に現在の三重県北牟婁郡を管轄した代官所でした。
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 唯一の遺構だった樹齢300年の黒松も枯死してしまい、切り株が残るのみです。
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 天照皇大神(アマテラスオオミカミ)・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)・天布刀玉命(アメノフチダマノミコト)・事代主命(コトシロヌシノミコト)を祭る木本神社です。
 https://www.google.com/maps/@33.8916671,136.1041352,18z
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 創始については不詳ですが、現存する棟札〔熊野市指定文化財〕によると慶長13(1608)年12月に火事で社殿が炎上したため木本町字新田から当地に遷座し、天照皇大神を祀った事が記されています。
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 木造狛犬〔熊野市指定文化財〕です。
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 鎌倉時代の作と推定されています。
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 安政2(1855)年、紀州藩附家老(ツケガロウ)で新宮領主の水野忠央(ミズノタダナカ)は紀州藩直轄領である木本地方27ヶ村(現;三重県熊野市木本町)と、新宮領飛地である有田地方の5ヶ村の領地替えを企みますが、木本地方の村民が強固な反対をして熊野村替騒動が起こります。安政4(1857)年に村民の説得のために江戸詰勘定組頭の吉田庄太夫正礼が派遣されますが、村民の心情を理解した庄太夫が江戸藩邸にて抗議の自決をする事態となり、最終的に領地替えは撤回されました。このため、木本神社では庄太夫を吉田大明神として祭っています。
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 明治41(1966)年に政府の神社統合策に従い、境内社の若宮神社二座・大国神社・恵比須神社、及び字新田町鎮座の稲荷神社、字切立鎮座の新田神社を合祀しましたが、昭和26(1951)年になって稲荷神社と菅原神社(新田神社)を飛地境内社として旧鎮座地に分祀しています。
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 木本神社から北上すると、松本峠越え熊野古道〔史跡〕〔UNESCO世界文化遺産〕の入口に当たる笛吹橋があります。
 https://www.google.com/maps/@33.8939693,136.1056158,18z
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《続く》
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