遂に城址の入口に
が、この周辺の地形から、既に城の防御施設に侵入してる感じがします。
大越城が正式名称で、「鳴神城」は通称だそうです。
先は藪で塞がってるような感じで行けるのか分かりません
舗装路は背後方向に続いており、見渡神社に車で参拝する人用みたいです。
何とか行けそうなものの、道というよりは数日前に濁流が流れた跡で不安しかありません
猛暑でしかも急坂を登ってきて汗だくですが、木陰に成っても湿度が増すだけで全然快適に成らずまいりました。
突然雑草が無くなり、少し進むと明らかに人が開削した堀切で、巨石に守られた大手口と思われるものが見えてきました。
左側の斜面も不自然に急峻で、人工の切岸ですね
堀切を超えると鳥居が見え、その上は「押上」と呼ばれています。
振り向いて切岸の上に当たる部分を見ます。
「東館」と呼ばれている本格的防御施設の一部で、やはり先の堀切が大手口と思われます。
虫がブンブンと大量に寄って来るし、蜘蛛の巣を何度も突破しつつ登って行きます。
竹藪が出現し地面に雑草が無くなりました。
何段にも渡って郭と思われる地形があり、思っていたより何倍も規模の大きい城塞だった事が分かります。
再び植生が杉林に変わり、虎口を通過しここを登れば本丸です
本丸到着直前。画面右端に鳥居が見えます。
元来た方向。
本丸の鳥居は「大越神社」でした
赤い鳥居の根本に巨大キノコが。
二の丸を見下ろすと巨大石塊があります
「駒石」と呼ぶそうで上に馬蹄形の凹みがあるようですが、鉄梯子が腐食しており登って確認しませんでした。
要所要所に巨大石があり虎口を形成していますが、運ばれてきたというより、石の存在を上手く利用して道と防御を構成して行ったという印象を持ちました。
二の丸から先に進まず、本丸に引き返します。
鳥居越しの採掘場
大越の神様がそれを見つめてるのは偶然でしょうか。
眼下を行く磐東線いわき方面行列車。
平屋住宅も並んでますね。
本丸から北方向の眺め。
標高590m、駅との比高は160mくらい。
鮮やかな色のキノコが各種群生しており、日頃お世話に成っている「かっぱ大王」先生に食べてもらおうと密採します
農村を歩き周って、山中を徘徊して、しかも飲み食いせず死にそうです。
でも辛さは熱中症であって、二日前に接種したワクチンの副反応では無いに違いありません。天啓ありがとう、ご先祖様
本丸から東方向。
城が現役だった時代は街道が遠方までハッキリ見渡せた筈で、浜通りと中通りの往来は足元の街道以外を通ろうとしても抜かりなく抑えられたと思われます。
が、一方でボトルネック地形の為に城を策源とした活動は限定的になってしまうという弱点があり、より開けた船引城にその座を譲ったのではないでしょうか。
本丸から元来た道とは違うコースで降りて行きます
と、城内井戸がありました。
敵に囲まれても水源があるので持久戦で音を上げる事は無いと思われます。
周辺はやはり巨石だらけです。
井戸から下は湿地のように成っており、ミズバショウが群生してました
先の東館の堀切に戻ってきました。
城址は観光公園化されておらず、一方でしっかりした内容の解説立札が多く、一旦縄張りに入ってしまえば里山として綺麗に維持されていて、学術的に現状保存と判断されたようで大変好感が持てます
入口だけ藪なのは、SNSでの城跡行った数自慢目的の人達に荒らされるのを除ける為に意図的に閉塞しているのかも知れません。
いずれにせよ、体力の消耗が思ったより激しく城址の全体像の1/3ほどしか周れて無い感じです。冬場の雪の無い時を狙ってまた再訪の必要がありそうです。
元来た道を降りて行きます。
水源が脇に点々とあり、どれも祠で祀られてます。
大越娯楽場まで戻ってきました。
その隣の郵便局の脇に見渡神社の現表参道があります
再び旧街道を味わい深い建物ウオッチしながら北へ進みます。
右の廃墟の中は植物さんに埋め尽くされてます。
温室みたいに機能してるんでしょうね。
服屋に「大越小学校指定店 運動着上下」と貼り紙があります
旧街道を離れ、駅の方に河岸段丘を下って行きます。
牧野川にかかる「鷹待田橋」を越えます。
最初に遭遇したお屋敷の裏が見えます。
大越駅
駅周辺は標語だらけ
真っ白って石灰にかけているんでしょうか。
他にも「けん銃根絶宣言の町」やら、秩序維持の標語やら、逆に言えば標語が必要という事はセメント工場全盛期には治安の悪い恐ろしい土地だったのかも知れません。
駅裏の旭鉱末工場。
郡山方面から列車が来ました。
これは小野新町止まりなのでスルーしたのです。
蓋コレクション。
駅舎から駅前を見ます。
左手の商店は営業しておらず、自販機で買い物そていたらいきなりシャッターが開いて驚きました。地元の爺さん達の集会所と化してるようで、続々と集まってきました。目の前のスクーターもそうした人達のもの。
右手の駅前タクシー会社では、私が到着した時から帰るまで運転手さんが延々と車を洗ってました
駅舎の中には、セメント工場閉鎖で引込線最終列車の写真やら、地元の学校のポスターやらが貼られてました。
窓にはカマキリ先生など昆虫多数。
大越は単線交換駅なので、ホームで列車を待っていると上下線共にやって来ます。
今は駐車場の場所に屋根が見えますが貨物ホーム跡だと思います。
最盛期の大越駅は両側に多数の貨物積み替え線を抱えた大規模な駅だったようです。
帰りは「いわき」方向へ。
分水嶺を越え、磐東線と平行する夏井川の峡谷縁の県道41号線はあちこちで崩落して修復工事が為されてました。
「夏井川第二発電所」の取水堰堤(1920)。
改めて今夏の豪雨の威力をこの沿線でも垣間見せられました。
それはそれとして、地質マニア垂涎の光景が続きます。
車内の鉄ちゃん達を観察すると、レールと駅、すれ違う車両以外は一切眼中に無いみたいです。
水力発電所もいくつも有るので一瞬も油断出来ません。
夏井川第二発電所。
江田駅に接近。
駅前の万事屋「朝日屋」はちゃんと営業しています。
「夏井川第一発電所」。
夏井川渓谷をほぼ抜けました。
「塩田発電所」。
「北赤井諏訪神社」。
いわき駅近くの街中華「光楽」で昼食兼夕飯です。
「あんかけ焼きそば」
特に麺の焦げ加減が絶妙で素晴らしいです。
爺ちゃん2人、婆さん1人でトリオ漫才のように営業してる店で、出前もやってますが出前機付きのバイクとかありません。
食べ終わって表に出たら車が停まってました。という事は配達担当が別に居るんですね。
それにしても、茨木栃木の鉄道民度の低さには毎度ながら閉口させられます
大きな駅ではホームの整列乗車を無視し横から来て真っ先に乗車して行く人達。終点に着くとゴミ溜めと化してる車内。乗ると早速マスク外すオヤジ達。指先でずっと口の中をいじってる青年は幼児の頃からの癖でしょうか?
一方、夜も更け都内へ戻ると駅前の地べたに車座に成って飲酒喫煙して宴会して騒いでる若者達が何組も居ました。最寄りの駅前でも車道で座り込んだり寝っ転がっていて、車が避けるの見て酒の肴にして喜んでる有様です。
コロナ禍が過ぎれば、そんな事も皆何もかも忘れてしまうのでしょう
おしまい。
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