10月8日金曜日は熊野速玉大社に参拝後、境内の一角にある新宮市立佐藤春夫記念館を訪れました。
https://www.google.com/maps/@33.7319492,135.9843505,20z
詩人・作家の佐藤春夫(1892〜1964)の東京都文京区関口町にあった旧宅を、移築復元し、平成元(1989)年に記念館として公開した物です。
文化学院創設者西村伊作の弟である大石七分(オオイシシチブン;1890〜1959)が昭和2(1927)年に建築した木造二階建て一部鉄筋の家屋です。
建物本体だけでなく、アーチ型の門や塀、石畳のアプローチ、庭、庭に植えられていたマロニエに至るまで、瀟洒な旧宅全体が忠実に復元されています。
佐藤春夫は東牟婁郡新宮町で熊野病院を経営する佐藤豊太郎の長男として生まれました。
佐藤家は9代に亙って代々紀州の下里町で医業を営んだ家系で、豊太郎は正岡子規に私淑した文人でもあります。母・政代は旧紀州藩士で御庭奉行を務めた竹田家の娘です。
春夫は新宮第一尋常小学校から和歌山県立新宮中学校へ進学しますが、在学中から短歌の発表を始め、『明星』に「風」の題で投稿した短歌が石川啄木の選に入り、和貝彦太郎主宰の「はまふゆ」の同人となります。その後も、短歌や歌論を次々と発表し、明治42(1909)年には『すばる』創刊号に短歌を発表していますが、同盟休校事件の首謀者と見做されて無期停学を命じられた事もあります。
明治43(1910)年に上京して慶應義塾大学文学部予科に入学してからは新宮に住む事はありませんでしたが、新宮市歌を作詞したり、新宮を舞台とした『わんぱく時代』を発表したりして新宮名誉市民となっています。
入館料は330円です。
館内には、佐藤春夫自筆の原稿や絵画・愛用品等が展示されています。
昭和35(1960)年に受章した文化勲章です。
書斎です。
続いて、速玉大社南側に聳える標高253mの千穂ヶ岳〔史跡〕東麓の寺院が密集したエリアへ向かいました。
先ずは臨済宗妙心寺派亀遊山清閑院です。
https://www.google.com/maps/@33.7300085,135.984608,19z
清閑院の開創は不詳です、天正年間(1573〜92)に現在地へ移転して来たとされ、一般人の坐禅体験も行われているため、新宮市では坐禅のお寺として知られています。
本堂〔新宮市指定文化財〕は安永6(1777)再建の方丈形式です。
清閑院の周辺は平安末期から鎌倉時代にかけて新宮別当家の屋敷があったエリアで、別当屋敷町と呼ばれています。
趣のある街並みです。
《続く》
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