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2021年10月22日02:22

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【感涙】『サマー・オブ・ソウル』の名シーン紹介

 
10月20日、シアタス心斎橋にて再鑑賞。すこぶる快適なミニシアターだった。

待ち時間を使ってリニューアルされたPARCOと大丸をさらっと見物。
学生の頃から親しんできた店から、どえらく高級指向の店に変わっていた。
天井が高くなった大丸本館1階はヴォリーズ建築を踏襲してあって嬉しかった。
https://youtu.be/PHMBQ5IvFFY

素晴らしいものは後世に受け継いでゆくべき。建築も、映画も。



『サマー・オブ・ソウル』初見時の記録
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980637330&owner_id=1833905


1週間後の再見で飽きるどころか、思わず涙ぐむほど感動するシーンは多々あった。
それほどまでに、《ハーレム・カルチュラル・フェスティヴァル》の記録フィルムは
鮮烈でひたむきなパワーに満ち溢れていた。


イエロー・オレンジ・レッド・ブラウン・ブラック。

次々に登場するアーティストたちの衣装は、不思議と暖色系でまとまっていた。
それは、照明予算を節約するため夏の西日を利用したステージとマッチしていた。

スティービーは、胸元をフリルで盛った黄色いシャツを粋に着こなしていた。

チェンバース・ブラザーズも黄系のトップスと茶系のパンツ。細長いシルエット。
歌い出す前に「イェーイ!!」と気合いを入れる、力強いシャウトの鋭さに痺れた。



気合の凄さは全アーティストに言える。皆、特別な思いを持って舞台に立っていた。
1969年はアメリカの黒人文化における特別な年だった。変革の潮目だった。

フィフス・ディメンションのビリーとマリリンが当時を振り返っていた。

「ある日、タクシーに財布を置き忘れた。それを親切に届けてくれた人がお礼を受け取ってくれなかったので、僕らのショーに招待した。すると、彼が『では、今度は僕のショーに君たちを招待するよ』と。なんと、彼は当時大人気だったミュージカル『ヘアー』のプロデューサーだったんだ。舞台を見た瞬間、『輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン』を歌いたい!と思った。すぐアレンジャーに相談した。後半はゴスペルアレンジにした」

フィルムを見ながらマリリンは涙ぐんでいた。

「大ヒットした『輝く星座/レット・ザ・サンシャイン・イン』を聴いて、多くの人たちは私たちを白人のポップスグループだと思った。でも、黒人だと知ると『黒人が白人の真似をするなんて』と言われた。
 肌の色と音楽は関係ない!
 私は、ありのままの私たちを同胞(our people)に受け入れてもらいたかった。そんな思いを込めてあのステージで歌った。5万人の大観衆が私たちの歌に熱狂するのを見て本当に嬉しかった」

踊りながら熱唱するマリリンは星が爆発するように輝いていた。
映画本編の最初と最後に登場する、当時の観客だった男性は「僕はマリリンに一目惚れした。彼女は本当に美しかった」と、フィルムを見ながら感慨深げに語っていた。



ゴスペル・デーのパフォーマンス群は本編前半のメイン。

カリフォルニアから来たエドウィン・ホーキンス・シンガーズは、神を信じなくなった若者たちに、新しい方法で布教したいと「Oh Happy Day」を発表した。地元のDJたちが曲をヘビロテしてくれて、大ヒットした。しかし、教会は保守的で「ダンスや飲酒はご法度」と、若者に支持された彼らの曲を否定したという。


ステイプル・シンガーズは若い3人姉妹のコーラスで、父がギターを弾いていた。
幼い頃から家族で歌っていた曲(つまり「古い曲」)を持ち歌にしていたため、人々は彼女たちを「年配のグループ」だと思っていたそうだ。メイヴィスが振り返る。

「私たちはジャズやブルースのフェスにもよく呼ばれていた。なぜだろう?と思っていたら、父が『我々の音楽にはいろんな要素が入っているからだ』と教えてくれた。ある時、私たちの歌のバックで、父がブルースを弾いていることに気がついた」


「Precious Lord, Take My Hand」の前説は、前年(1968)に暗殺されたキング牧師の最期について語っていた。その場にいたアーティスト(Ben Branch だっかな?)が、まさにキング牧師から最後に言葉をかけられた人だったという。暗殺の前夜、ディナーの時に、キング牧師は、明日「Precious Lord, Take My Hand」を演奏して欲しいと彼に頼んだそうだ。それは牧師が一番好きな曲だった。
翌日、キング牧師は凶弾に倒れた。背骨は打ち砕かれ、顔は吹き飛ばされていた。
けれど、彼は大切な主の手に導かれ、希望を持って最後まで生き抜いた。

メイヴィス・ステイプルズが当時を振り返る。
「ステージの前に、マヘリアが『今日は調子が悪いの。あなたの力を貸して頂戴』と私に頼んできた。とても光栄だった。マヘリア・ジャクソンと同じステージで歌えるなんて。あのステージは私の生涯最高の瞬間だったと今でも思う」

道理で。朗々と響くマヘリアの声と違い、メイヴィスの声はカラスのようにしゃがれていたが、その気合、迫力、テクニックはマヘリアに勝るとも劣らなかった。尊敬するディーバを全力で支えたいという彼女の思いが聴衆の腹わたを掴んで揺さぶる力演だった。





グラディス・ナイトは若くてピチピチだった頃の自分を懐かしく振り返っていた。



大観衆を見て驚いたが『やってやるわよ!』という気合で歌ったグラディス。
上の動画では割愛された、ピップスのダンスとコーラスも最高だった。

モータウンのアーティストは皆近所に住んでいて家族同然の付き合いだったという。
グラディスたちは朝から晩までダンスの稽古をしていたそうだ。
「しくじると振付師の先生に耳を引っ張られた」と笑っていた。



スライ&ザ・ファミリー・ストーンのパートは白人ドラマーが振り返っていた。
「ステージに出て行ったら、観客が『なんで白人がいるんだ?』『あいつ、ドラムなんかできるのか?』という顔をしていた。でも、演奏が始まったら問題なしだった」

スライのバンドは、かっこいい女性トランペッターや白人男性ドラマーなど、多様性を先取りするメンバー構成だった。(プリンスのバンドもそうだった)
当時、黒人白人混合のグループは非常に珍しかったという。

(余談だが、1958年にマイルス・デイヴィスがビル・エヴァンスをバンドに入れたものの、他のメンバーから文句が出てウイントン・ケリーに交代した時、「俺は上手けりゃ緑色の肌の奴とでも演るぜ」と言ったとか。それくらい人種の垣根は高かった)

「Sing a Simple Song」では黒人女性トランペッターが歌と演奏で大活躍。
当時そのステージを見た黒人女性は、とても誇らしくて嬉しかったと語っていた。

「Everyday People」で、スライはアドリブ?の歌詞を入れていた。
「黄色い奴(アジア人)は 黒い奴(黒人)が嫌いで」の前に
「青い肌の奴は 緑の肌の奴が嫌いで」と歌っていた。

 歌詞和訳 https://ameblo.jp/chihiro-yokohama/entry-11849891660.html

(また余談だが、「You can't figure out the bag I'm in」という歌詞は、プリンスの名曲「I Would Die 4 U」の歌詞「I am something that you'll never understand」に通じるなと感じた。スライのライブはあまり観てこなかったが、見れば見るほど、プリンスがスライをリスペクトしていたことに気づく)

 参考 http://prince510.blog.fc2.com/blog-entry-91.html



ラテンジャスの偉大なコンガ奏者「Mr. Hard Hands」レイ・バレットの奏法について
パーカッショニストのシーラEが解説していた。

「モンゴ・サンタマリアや私は手首のあたりでコンガを叩く。でも、レイは手のひら全体と腕を使って叩く。彼と握手した人なら分かるが、彼の指は棍棒みたいなのよ」

「私たちは楽器で会話する。いろんなリズムがかみ合って(指を組み合わせる仕草)
 素晴らしい音楽が生まれる」




リン=マニュエル・ミランダが「一口に黒人と言っても、メキシカン、アフロ・キューバン、プエルトリカン、ジャマイカン、ドミニカン、ブラジリアン、アフリカン等々…」と
解説し、ディニズル(アフリカ)やアビー・リンカーンやヒュー・マセケラ(南アフリカ共和国)が登場。このフェスティバルはアメリカ音楽の枠を越え、世界にいる黒い人々の文化を讃える挑戦であることを示していた。



髪を高く結い上げたニーナ・シモンは、まるでアフリカの女王だった。
彼女はピアノを弾きながら「Backlash Blues」を痛烈に放った後、「To Be Young, Gifted & Black」を、まるで子供のように切切と歌った。悲しみと希望が交錯する、不思議な温かさが聴衆を包み込んだ。

 歌詞 https://japan4blacklives.jp/2020/06/column/tobeyoung/

それから、ニーナは予告編冒頭で使われた「Are you ready ?」の詩(暴力性を帯びたアジテーション)を朗読した。パーカッションとコーラスが聴衆を興奮状態へと誘う。



1969年は変革の時だった。

1967(ホット・サマー)、1968(キング牧師暗殺への抗議)と続いた黒人暴動。
毎夏起きる暴動を予防するため、1969年、N.Y.市は「ガス抜きの娯楽」になるフェス開催に協力した。
けれど、虐げられてきた黒人たちの思いは、フェスによって明確化していった。



本編の大トリは、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Higher」。
司会が彼らの登場を告げると聴衆は舞台めがけてドッと押し寄せた。
「みんな押さないで」「これ以上押すと中止になるよ」
大人気も当然、紫と黒の衣装をまとった長身のスライは本当にカッコ良かった!

「I wanna take you higher ! 」と、スライがピースした右手を天に突き上げると
「Higher !!! 」とぎっしり詰めかけた黒人がピースを突き上げてレスポンスする。
圧巻の光景だった。

同じく1969年に催されたウッドストックの映像も確認してみた。
スライは絶好調でカッコいいものの、会場が暗いせいか、レスポンスが弱い。

 https://youtu.be/J035ejuafWY

ウッドストックでスライが出演したのは日曜の未明だった模様。
来場者は3日間で40万人だが、記録映画を見る限り、割とダラダラした印象だった。
夏の6週間、日曜の午後、熱い思いを胸に集まったハーレム・カルチュラル・フェスティヴァルの聴衆とはパワーが違うのも当然かもしれない。
舞台は演者と観客が一体となって作り上げるもの。
どちらの方が感動的だったかは言わずもがな。


しかし、ウッドストックの成功とは裏腹に、この貴重な記録は日の目を見なかった。
NYローカルの深夜30分番組で1回放映された以外、全く買い手がつかなかった。
「黒人のフェスなんか、誰も興味を持たなかったのさ」
「こうやって、黒人の歴史は『なかったこと』にされる。ずっとその繰り返しだ」


本編ラスト、冒頭に登場した黒人男性(当時の聴衆)が再登場する。
フィルムを見終わった彼は感動の涙を流していた。
「あれは本当にあったことなんだと思い出した。長い間忘れていた。観れて嬉しい」


さすがは40時間以上の元テープから名場面だけを選りすぐっただけのことはある。
セットリストの曲を片っ端からYouTubeで聴いても、
この映画で紹介されたパフォーマンス以上の名演を聞くことはできない。
118分に39曲。よく詰め込んだものだ。


長いエンドロールが終わると、スティービーのおまけ映像が見られる。

その日は雨のステージ。中央のスタンドマイクにスティービーと黒服のおじさん。
おじさんは早く退場したいが、スティービーが彼の服を掴んで離してくれない。
(以下ネタバレ自粛)


映画館で観るのと自宅で観るのとでは感動レベルは全く違ってしまうが、
DVDでもう一度観たい。久々にそう思った名作だった。




つぶやき(資料リンク集)
https://mixi.jp/view_voice.pl?owner_id=1833905&post_time=20211013192339

歴史的黒人音楽フェスが私たちに語りかけること。
https://madamefigaro.jp/series/music-sketch/210825-summer-of-soul.html

映画『サマー・オブ・ソウル』〜美しくもシビアな過去と現実が託した希望
http://turntokyo.com/features/summer-of-soul/



hayamiさんの日記 
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980181558&owner_id=2399973 

レスリー・チュンさんの日記 
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980427423&owner_id=20808806




【INDEX】映画/舞台 関連日記(2)2019〜2022
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979079540&owner_id=1833905

【INDEX】音楽関連日記 / 2011〜
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1668576988&owner_id=1833905

 
 
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