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2021年09月07日11:37

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「天地に人な愧じそ」 桐朋高校校歌の真の意味

校歌というものは、詰まらんものです。

××山がどうの、ナンチャラ川がどうした。
刻苦辛励学問を修め、清い心で天下国家に貢献する…

そのワンパターンさに、自分の母校の校歌さえ嫌いなほどです。

ところが、桐朋高校の校歌は別格です。日本一はまちがいない。いや、おそらくは世界一か…
さすがは、佐藤春夫です。

引用します

一
国立の岡にして 学校の良き窓は
老松の枝越しに 富士ありて若人を
おほらかに教へおる
天地に人な愧ぢそと

二
玲瓏と仰がるる 高嶺なる雪に似む
わが心俯して知る 武蔵野の春秋に
少年は老やすし 天地は永遠に新たに

三
好き友の 寄り集ひ 多摩川の岸玉攻き
志いや高く 名もゆかし桐の朋
鳳凰の雛の家
天地の真実啄ばみ

下の資料は、学校のホームページのもの。
まちがっています。
佐藤春夫は、声や格に非常に敏感な詩人です。

特に一連目は恐ろしいほどの含意があります。
最後の行の「天地に人な恥ぢそ」ですが、
決して「天地に対して恥ずかしい人間になるな」といっているのではありません。
「天地に対して、人よ、どうか愧じないでください」という意味です。「な…そ」は、禁止といわれますが、懇願です。

つまり、
たとえば、学校の帰り道に見かけた、武蔵野女学校の美少女をナンパした。学校が終わってから、多摩川の土手で語り合うようになった。そろそろ、いいか…と接吻しようとしたら、彼女は振り切って泣きながら逃げた。その晩、そこのオヤジが「痴漢、出て来い! 臆したか! よくも、嫁入り前のうちの娘を女郎扱いしたな…」と棍棒持って怒鳴り込んできた。本人は、根性がないから、「臆して」押し入れで布団をかぶって震えていた。

あるいは、友達から「戦旗」を借りた。近頃評判の『蟹工船』を読もうと思ったからだ。ところが教師にバレて、特高がやってきて引っ張られた。釈放されたが、祖父は「一族の恥さらしめ。国賊はうちにおいて置けない」と激怒し、祖母は、近衛中佐である父が自決しないか心配し、オロオロしている。あまりのことに「おばあ様、私は、赤ではありません」と言おうとしたが、舌がもつれて言葉にならない。

…いや、悠久なる時の流れをみなさい。いつも、天地は面目を一新するかのようです。愧じることではありません…

と。
まだまだ、いろいろ言いたいことがありますが、素晴らしい含意です。

また、かくほど学生が信頼できる場。
それは現代では失われてしまったものですね。




<参考> ホームページから

国立の丘にそびえたつ僕等の学校の窓からは老松の枝ごしに朝夕富士がながめられる。
その富士のいかにもゆったりとした姿はいつも『この雄大な大自然に対してはずかしくない人間になれよ。
こせこせした人間になるなよ』と僕等に教えている。
その美しく輝く富士の高峰の雪の様に清らかな心を持とう。武蔵野の季節の移りかわりにつけても『少年は老い易く学成り難し』という言葉の意味を良く考えあじわい、さらにこの様にすばやくすぎ去ってしまう人生にひきかえて、はかり知れない遠い昔から決して古びることなく常に新しい姿を見せている大自然の偉大さを考えあわせ、たえず新しい勇気をふるいおこして努力してゆこう。
良い友達がより集っている多摩川に近いこの学校で、多摩川の石が流れにみがかれる様に、我々もすぐれた素質を、一層磨き上げ、ますます志を高く持って勉学に運動にはげんでゆこう。鳳凰という鳥は桐の木にだけ住むと言われているが、そう考えると桐朋という名は実におくゆかしい名だ。そしてこの学校は、その鳳凰のひなの様な僕等が宇宙の真実を探求しながら、鳥でいえば鳳凰の様な立派な人間に育ってゆくところなのだ。

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