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2021年07月01日11:29

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ショートミステリー(14)夏の蜜柑

これは日本文学の巨匠二人の短編小説を参考に書いたものです。
文学好きの方ならもうお分かりですね。


ある初夏の午後のことである。
馬車乗り場では婆さん達がこの冬は蜜柑が豊年だったという話をしていた。

御者の勘三はいつものように客を待っていた。
彼は自分の馬車を街道の馬車で一番綺麗にしていた。
また彼は御者台座っていても馬車の揺れ具合で子供が馬車の後ろにぶら下がったこともわかるほど敏感で、かつ運転技術も達者だった。
だから、町の名士や金持ちは好んで安心な勘三の馬車に乗ってくれ、降りるとチップをはずんでくれるのだった。

「今日はどうしたものか、上客が来ないな」と勘三が思っていた時、一人の女性が、「あのう、駅まで乗せてもらえますか?」と尋ねた。

その女性は勘三より2-3歳位年上に見え、蜜柑がたくさん入った袋を下げていた。
勘三は何故か、胸騒ぎするような気を覚えたが、「どうぞお乗りなさい」とその女性を乗せ、馬車を発進させた。
その女性は何故か楽しそうに笑っていた。

馬車が町はずれの橋に通りかかると、突然稲妻のように勘三の脳裏に7年前の記憶が蘇った。

7年前、勘三は幼い弟や妹たちとこの橋の下で東京に奉公に行く姉を見送っていた。
優しかった姉と別れるのが辛くてみんな泣いていた。
姉の乗った馬車が橋に通り掛かると、弟や妹は全員泣きながら、おねーさーん!と叫んで手を振った。

その叫びが終わるが早いか?空からたくさんの蜜柑が降ってきた。
姉が僕らの見送りに応えて袋からたくさんの蜜柑を降り投げてくれたのだった。

日の光を浴びて落ちてくる蜜柑の隙間から姉の顔が見えた。
姉は笑っていた。一番つらいはずの姉が確かに笑っていた。
その時、勘三は子供ながら、泣いていてはいけない、と思った。

そんなことを思い出して懐かしむうちに馬車は駅についた。

勘三は「お客さん、着きましたよ。あなたは今日、私に良いことを思い出させてくれました。今日のお代はよろしいです」
と言って後ろを振り向くと、後ろには誰も載って居らず、只、蜜柑が一つ座席に転がっていた。

東京に奉公に行った姉が病で亡くなった、という知らせが届いたのは、それから3日後だった。




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