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2021年06月19日00:17

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反復練習

私は子供のころ、反復練習が嫌いでした。漢字の書き取りとか、計算ドリルの類です。ひょっとすると、多くの人が繰り返していると「自動的に」できるようになるのに対して、私は何回やっても意識しないとできないせいかもしれません。この辺は、計算とかだけではなく、楽器の演奏などもそうで、音楽の時間のリコーダーのテストなど、まともに最後までできたためしがありません。「繰り返しやれば」と言われても、ある程度以上繰り返すとだんだん混乱してきて、できていたはずの最初の小節がまともにできなくなったりします。イソップ童話のムカデは動きを意識させられることでダンスが踊れなくなりましたけれど、最初から無意識で動かすことのできない私は教えてもらってもダンスが踊れるようにはならないというわけです。ただ、だんだんと頭で理解してできるようになっても、それが高度になってくると必要な時に思い出せないことが多くなりました。

学校で数学や物理の授業を受けると、演習問題と言うのがついています。すぐ前に書いてあることを実際にやってみる、と言うものですが、「わかっていることを繰り返す」と言うのが苦痛な私にとってはあれが苦手で、できるできないの前に「やりたくない」と思ってしまいます。テストで問題が解けず、復習をするのは全く苦にならないのに、「できなかった」と思わないと、取り組むこと自体が面倒でなりません。この辺は、しばらく前に書いた「見直しができない」問題と根は同じと思われます。

練習して自動的にできるようにならない代わりに、自動的にできなくなっても意識をすれば(自動的にできる人には敵わなくても)できる、と言うメリットもあり、悪いことばかりではないにしても、多数派の人と異なる、と言うだけで結構不便だったり、嫌な思いをすることもありますけれど、多様性を許容する世の中になれば、こういう状況もある程度変わってゆくのでしょうか。
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