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2021年04月24日19:47

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「カッパの贈り物」伝説の銅印ついに解読

牡牛座判読できない文字が刻まれたカッパの印の話は以前偶然耳にした、というかネットで読んだことがあったけど、ついに結論出たんだね。『詩経』「小雅・鼓鐘」に由来する「以雅以南」(雅を以てし南を以てす――いろんな地域の楽器が調和するという意味)だったのか。

牡羊座お寺では「日雅日学」か「台雅台南」という読みを推してたそうだけど、結局退けられたんだな。寺伝ってのも結構当てにならないもんだ。

牡牛座いろんな人が判読に挑戦して、「以雅以南」という読みも一つの候補として以前から上がってはいたようだね。

ブタ読み解くために多くの学者がドーインされましたとさ。銅印だけに。

牡羊座様式から見ると明・清代の印で、姓名でなく詩句が彫られていることから、元々は文人が用いた「雅印」と考えられるそうだ。時代的には江戸時代に贈られたという寺の言い伝えとも矛盾しないな。

牡羊座だが問題は、なぜそれが、川太郎と名乗るカッパが困りごとを解決してくれた男性に感謝して贈ったという伝説になったかだ。

ブタカッパが贈った印って話になったのはやっぱカッパー(銅)の印だから?

牡羊座銅でも……いやどうでもいいだろそんなこと。

牡牛座これはあくまで想像だが、江戸時代に清国の船が難破して敦賀に漂着し、地元の人に救助されたとかあるんじゃないか。あの時代の中国人は辮髪を結っていたから、それがほどけたらカッパさながらの頭になっただろう。中国人も日本人も相手の言葉が分からない。お互い学があれば漢文で筆談しただろうが、助けたほうがあいにく無学だったんだろう。助けられた方は他にあげられるものもないから、とりあえず感謝のしるしに雅印を贈った。そんなものを持ってるくらいだからそれなりの読書人だったのだろう。助けた日本人の方は中国語で名乗られても分からなかったから、結局「カッパの川太郎」という話にして、印をお寺に奉納したというところじゃないか? 助けた男性の名前が不明なところをみると、あるいは、鎖国の江戸時代に庶民が外国人と接触したとなるといろいろ面倒になるからカッパのせいにしたのかも知れないけど。

ブタなんか、まるで見てきたように詳しく語ってるけど、エビデンスあんの?

牡牛座ない。役人が調書でも作るとか、儒者や僧侶などの地元の有識者が記録を残すとかしてたら背景まで詳しく分かるとこなんだが……ただ敦賀あたりの日本海沿岸一帯は、昔から大陸の船がよく漂着したところではある。

ブタでも証拠の文献資料がないんじゃ真相は闇の中だ。問題はシンコクだねぇ……清国だけに。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%91%E3%81%AE%E8%B4%88%E3%82%8A%E7%89%A9-%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%AE%E8%AC%8E%E8%A7%A3%E6%98%8E-%E5%B0%82%E9%96%80%E5%AE%B6%E3%81%8B%E3%82%89-%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%95%A6%E8%B3%80%E5%B8%82%E3%81%AE%E5%AF%BA/ar-BB1fZuMy?ocid=msedgntp
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