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2021年04月19日00:00

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知の開拓

高校の漢文の授業で老子の「無用の用」と言う一節がありました。車輪のスポークや容器などの形あるものは車輪と車軸の間の空洞や物が入る内側の空洞と言った形のない部分を支えるために存在し、ないことこそが価値だ、と言う老子的な逆説ですが、以前データベースの価値を「検索してヒットしたデータがその人にとっての価値かもしれないが、道を歩くときに足の下の地面だけがあれば歩けるというわけではなく、自由に歩くためには広い道をきちんと整備しなければならない」と説明している文章に出会いました。

学者にしばしば問いかけられる「その研究は何の役に立つのですか」という質問にも、同じ回答ができそうで、用を足せる研究だけしているのは足の下だけに地面を作ろうとするようなもので、行きたいところに行ける=やろうと思ったことを実現できるためには道を作らなければならず、また、自由に動けるためには広い地面を作る必要があるということです。

昨日2021/04/17(当日書いて当日アップ)の日記に私が「知識の正確性、正当性を確認することがある」と書きましたが、自分の知らないこと、それまでの自分の知識と異なることがあった時、追加の情報を得て空白を埋めたり、知識や理解を修正したりして、自らの「地面」を広く、強固にしたい、そしてより自由に歩き回れるようになりたい(知識で予測、コントロールできることをより多くしたい)と考えてのことです。もちろん、他の人が必要としているなら、自分の持っている情報も提供するわけですが、「自分のほうがよく知っているとひけらかしている」「根掘り葉掘り聞いてちゃんと理解していなければ、それを暴露しようとしている」などと思われると、どうしようもありません。

私自身も、さすがにすべてのことに興味を持ち、全てを理解しているわけではありませんし、人類が蓄積してきた知識が一人の人間に扱えるわけもないことは、多少なりともまじめに学ぼうとすればすぐにわかるはずなのに、明治維新直後の「西欧列強の知識を学べば頂点に立てる」みたいな感覚を引きずって一番を目指す人が多いことにはあきれます。今も生み出され続ける知識が未来をより自由に歩き回れる世界にしてくれること、それを実現できる社会を人々が維持してくれることを願います。
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