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2021年04月17日00:14

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責任が問われるとき

私も若い者の責任感を問いたくなるような年代ですけれど、結局のところ、責任と言うのは人間関係の中で問われるもので、多くの人が思っているような倫理に基づいて発生するものではないと思っているので、個人的な見解で言えば当事者の「周りにどう思われたたいか」と、周りがその人をどう思っているか(を本人がどのように捉えているか)で決まってくるものです。要するに、本人の「期待されている責任を果たしたい」という気持ちが責任感と言うことです。

私にとっての責任感は、追及されると面倒そうな責任をどう問われないようにするか、であって、残念ながらかばってくれる人も(特に権力を持った人には)いませんし、うまくごまかすだけの対人スキルもないので、「誠実に」責任を果たすことになります(まあ、実力の範囲で、ですが)。逆に言えば、かばってもらえる人脈があったり、責任を追及する人を相手に逃げ切るだけの対人スキルがあれば、責任をとることなど考えなくてよいわけで、そういう意味で責任と言う考え方は「正直者がバカを見る」ように感じます。もちろん、もともとは「より良い状態を実現するため」「悪い状態にしないため」に影響を及ぼせる人物を判断するための概念で、それを権力も特に秀でた能力もない人間にまで当てはめようとするからおかしなことになるのでしょうけれど、いずれにせよ、人に好かれる人は得ですよね。
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