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2021年04月15日00:30

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多様性ある社会

「子供は純粋」とも「子供は残酷」とも言いますけれど、もちろん、純粋と残酷は対語でも反対語でもないので、矛盾とは言えないものの、残酷と言うのは邪悪に通じ、そうなると純粋とは矛盾する感じになってきます。しかし、残酷は邪悪から生まれるというより、邪悪であれば残酷を好むだろうというだけで、むしろ、残酷な状況自体は純粋なものがぶつかった時に起きやすいのではないかと思います。

多様性の促進を考えたときに、障害や異文化と接した子供は先入観なく反応します。平然と受け入れることもあれば、自分が受け入れがたいと感じれば(または、そういうものは受け入れるべきでないと学習していれば)躊躇も遠慮もなく否定します。冒頭の二つの台詞は、それぞれ前者、後者の場合に周りの大人が持つ感想でしょう。本人は、自分の知識を客観的に評価できないから、ありのままに受け止め、肯定にしろ否定にしろ、素直に反応しているにすぎません。

いくら教えたところで、自分や家族と大きく違う人間に否定的な反応を示す人は居ますし、そういう個性も否定すべきではないのですが、豊かな社会を実現するためにはそういう反応が望ましくないということは社会全体に浸透していただきたいもの。「道徳教育」とかをするなら、愛国主義的な思想より、そういう内容を教えてほしいと思います。
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