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2021年04月10日00:59

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論理的議論の必要性

私は権威主義が嫌いで、高圧的な態度をとられると反感を覚え、相手が正しいことを言っていても反抗したくなります。ただ、相手が高圧的だからと反論するのも合理的とは言えませんので、頭の中で組み立てた反論に対して再度反論を組み立てて見たりするので、そういう人とスムーズなコミュニケーションはできません。前回の日記で書いたような、根拠や理由を明示することは、本来高圧的な態度とは正反対のはずなのに、議論や論理的思考が苦手な人にとっては高圧的な態度と同様(と言うか、人によっては、高圧的な態度なら適当に懐柔して対処できる、と言うでしょう)、相手の反論を封じる態度に映るようです。

そう考えると、高圧的な態度も相手に自分の言うことを聞かせ、都合のよい行動をとらせるという意味では、理屈で言い負かすのも一緒に思えるかもしれませんけれど、本来の議論は自分が相手を理屈で言い負かすための行為ではなく、求める結果をより良い手段で得るための手続きです。自分の主張が必ず正しく、相手に言うことを聞かせることができればより優れた結果を得られるというのであれば、人に言うことを聞かせていればよいのでしょうけれど、相手と自分の利害が一致するかどうかはさておき、自分の出した答えが必ずしも最善とは限りません。

私自身は、そう簡単に言いくるめられ、だまされるようなことはないと思っているのであまり気にしませんけれど、理屈を扱うのに不慣れな人にとっては、相手が自分をだまそうとしていると疑心暗鬼になるのは仕方ないのかもしれません。そういう人たちが苦手意識を克服し、うまく論理思考を扱えるようになる教育手法が編み出されればよいのですが、弁護士のように個人の代わりに判断を提示できるような「エージェント」が仕事として認知されるのも一つの解決策ですかね。
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