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2021年04月02日23:40

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評価と差別

イギリスでは、褒めようがけなそうが、人の容姿についてコメントするのはマナー違反になっていると聞きました。確かに、容姿で人を評価することは当事者同士の関係性にとってあまり良いことではないかもしれません。褒められても、容姿が悪ければ評価されないのだろうかと言う疑問が出てきますし、けなされて気分が良い人はいないでしょう。また、褒めることは、他の人と比較して、と言うことになりますから、間接的に誰かの容姿を悪く評価しているということになります。

自分の容姿についても、気にする人は気にしますし、誰も話題にしなければ多少不安でも気にしようがなくなってしまいます。ただ、きれいなものを見れば心が和むということはありますし、それに価値がないとなると、芸術とかは意味がなくなります。そうなると、自分にしろ、他人にしろ、人の価値と関係なく、「見た目がどうか」と言う評価はあってよいのではないかと言うことになってきます。いろいろな差別について言えることですが、「〜であること」と「〜であるが故に〇〇だ」と断定されることは別問題で、誰もが「見た目」と中身の価値は別だ、と考えていれば、気軽に他人の容姿にコメントできるようになることでしょう。

実際にはなかなかいないでしょうけれど、非常に容姿の良い人が、自分の容姿を気に入ってはいるけれど、だからと言って自分の勝ちが上がるわけでもなし、と考えていれば、何らかの原因で醜くなったとしても「鏡を見たときにきれいなものが見られないようになって、ちょっと残念」くらいに思うでしょうし、誰かが醜いからと言って「もっと美しければよいのに」と思ったりしないことでしょう。まあ、なんでもかでも、どうでもよいと思ってしまうと、それはそれで問題のような気がしないでもありません。
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