江戸時代末期、江戸の町に情報を売っていた人がいます。
将軍が上野東照宮への参詣するための御成道(おなりみち)の途中、
現在のJR秋葉原駅の西口辺りで、
筵を敷いて古本屋を営んでいたのですが、
彼が扱うのは、本よりも情報だったようです。
この古本屋、「御成道の達磨」とあだ名が付いています。
壁に向かって動かなかった達磨のように、店先に座り込んで、
素麺箱を机代わりに、日中せっせと何やら筆記していた事から付いたようです。
彼の本名は須藤由蔵で、今の群馬県藤岡市の出身の人です。
江戸に出て古本屋を営み、屋号は「藤岡屋」としていたようで、
本屋の由蔵なので、「本由」とも呼ばれていたとの事です。
この由蔵が生涯に残した日記は250冊ほどになります。
日記の期間は、
1804年(文化元年)から1868年(慶応3年)の65年に及んでいます。
内容は幕府の政策や人事、幕末の世相や江戸の事件、噂話で、
瓦版などからの抜き書きも含まれています。
原本は関東大震災で焼失しましたが、明治時代に筆写した物が残っていて、
「藤岡屋日記」として出版されています。
この由蔵が日々の噂話を書き留めておいたのは、
今の通信社のように、情報を売るためでした。
誰がそのような情報を買うのかと言うと、
買い手は、各藩の江戸留守居役です。
江戸留守居役と言うのは、江戸時代の外交官のような役職でしたから、
由蔵から情報を仕入れて、藩への報告に使ったのでしょう。
実際に情報収集を行わずに、手軽に買える訳ですから、
留守居役などには重宝されたのだと思います。
彼の商売の様子を四代目廣重を名乗っていた菊池貴一郎が目撃し、
「江戸府内絵本風俗往来」の中で由蔵のことを、
「顔色渋紙の如く、頭髪蓬々たりしを 手拭いにて包みたり。
怪しむべきは、身柄よき武家の来たりて、
破筵の片辺に着座して何か談話して
余念なき様を見しこと数度なりける」と、
得意のスケッチ入りで書いているとの事です。
情報を売る行為は、江戸時代の庶民には奇異に写ったのかも知れません。
「本由は 人の噂で 飯を喰ひ」との川柳が残されています。
今日は、一日買い物やら片付けものなどをしていました。
このコロナ騒動の中なので、息子達は帰省しない事になっています。
そのため、そんなに一生懸命やる必要もないのですが、
ここでやって置かないと、この先いつになるか分かりませんので、
一通りやろうかと思いました。
しかし、何か疲れてしまいました。
そのため、以前別の所で書いたものをリライトして、お茶を濁させて頂きました。
明日は、一応掃除をしようかと思っています。
あるいは疲れて日記を休むかも知れません。
ログインしてコメントを確認・投稿する