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ある土曜日、私が祖父に初恋の話をもう一度聞きたいと頼んだとき、祖父はもちろん快諾してくれた。祖父はいつもいつも私の願いは無条件に受け入れてくれるのだ。
祖父には内緒にするつもりだったけど、私はあることを決めていた。
「ねぇおじーちゃん、メモとりながら聞いてもいい?」
「えぇ? インタビューかい? それは文学賞の受賞インタビューよりうれしいさぁ。まぁ、老い先も短いことだしよぉ」
祖父は機嫌のいいときや照れたときいつもそうだったように、大好きな沖縄方言の語尾を真似ながら言った。
「縁起でもないこと言わないでよ。戦争体験の語り部さんじゃないんだから」
私にも「降ってきた」ことは、まだ祖父には報告しないことにした。でも祖父は本当にうれしそうだった。昔のようにゆっくり祖父と話し込むことがずいぶん少なくなっていたからかもしれない。
「それじゃ、ちょっと飲みながらインタビューを受けようかねぇ。一緒にクーちゃんもどうですか?」
「私はまだいいよぉ。てか、おじーちゃん元先生なのに、高校生にビール勧めたらダメでしょ。それにそんなことより何よりさ、おじーちゃんも止めといた方がいいんじゃないの?」
けれども祖父は部屋のそばに置いてある祖父専用の冷蔵庫から缶ビールをとりだしてきた。それから祖父は8年ぶりに、8年分成長してノートを開いた私に、初恋の話を再演してくれた。
懐かしかったり、改めて驚いたり、新しく発見したりしながら、質問したり、共感を伝えたり、ツッコミを入れたりしながら、私は祖父の初恋物語に耳と心を傾けた。
再演だけではなかった。初めて聞く話もあったのだ。あの、中学校の卒業アルバムに圭子さんが載っていないことを発見して以降の話だ。祖父はそこからずいぶん思い悩む日々を過ごしたそうだ。知らなかった。
恐竜に会いに行ったふたり旅から帰り、卒業アルバムを見せてもらったこと、そこに圭子さんが載っていなかったことは記憶にある。けれども8歳の私にとって、そのことはそこでおしまいになる話だったのだろう。その後の祖父の苦悶など全く知らなかった。
でも、もしかしたらそのことで祖父は倒れたのかもしれない。肉体的にも精神的にも大きな負荷がかかっていたに違いないからだ。今だから笑い話のように祖父は語っていたけれど私は大きな衝撃を受けていた。
何も知らなかった私。苦しみ続けていた祖父・・・・。
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