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2020年11月18日18:29

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室町将軍の「あれ」(^^ゞ

永享二年(一四三〇)一二月、伏見宮貞成は、自邸に将軍足利義教を招き入れる準備で大童だった。あらかじめ幕府から、将軍を迎え入れるための増改築や室礼が指示されていた。その一環として、次のような記事がでてくる(現代語訳。以下同じ)。

ところで、「御間中」を建てた。室町殿がお渡りになるところには「御間中」を新築するものだそうだ。それで建てたのである。(『看聞日記』永享二年一二月一九日条)

数年前、この箇所を現代語訳したとき、この「御間中」がまったく分からなかった。もちろん『日本国語大辞典』第二版にも出ていない。

ところが昨晩、寝酒のウイスキーのお湯割りを飲みながら(失礼)、ある方の論文を読んでいたら、次のような引用史料に出合った。

内裏様(称光天皇)はまたご病気だという。今日の明け方午前三時より御間中(マナカ)〈東司のことなり〉にいらっしゃり、急に気絶なさったらしい。今日〈二十八日〉午前七時まで御間中にいらっしゃったそうだ(満済准后日記応永三三年(一四二六)七月一八日条)

御間中の割注にある東司(とうす)とは、寺僧の言葉で便所のことである。ということは、御間中は御便所ということになる。やったー、ようやく御間中が理解できた。

それに、この記事が称光天皇の病気に関するものであることや、真言宗の高僧である醍醐寺三宝院満済も御間中の意味が分からず「東司のことなり」という割注を付けていることからみて、御間中は女房詞(内裏御所に勤務する女房たちの隠語)ではないかと考えた。このことを含め、これは僕なりに大発見だ〜と内心大喜びした\(^o^)/。

しかしその後、念のためと思って『時代別国語大辞典』室町時代篇五をみたら、「まなか(間半)」の項がちゃんと立っていて、間中は、「御まなか」の言い方で「便所」を表す女房詞であると書かれていた。ギャフン。なんだ、もう既に知られていた事か〜と内心ガッカリした(T_T)。でもまぁ、長い間分からなかった「御間中」が分かっただけでも、めでたし、めでたしだ。

この記事を読んでいて、山川三千子の『女官 明治宮中出仕の記』(講談社学術文庫)の記述を思い出した。明治天皇が観劇に行幸する際、あらかじめその劇場に明治天皇専用のご不浄(こういう表現だったかどうかは忘れたが)を新築したという。

たぶん、誰かが使用したトイレを使って天皇や将軍が穢れてはいけないという配慮だったのだろうなぁ。

いずれにしても、久しぶりに知的興奮を味わって、楽しかったよ。
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