近くのジムでラプラスのレイドがあったのでソロでやってみた。
現在のレベルは39なので、レベル39まで強化した
サンダース 2865 ボルトチェンジ 10万ボルト
ダイノーズ 2010 いわおとし いわなだれ
ボスゴドラ 2932 うちおとす かみなり
それに
イワパレス 2469 うちおとす いわなだれ
の4体で攻略成功
いわタイプには天候ブーストが掛かっていた。
時間はギリギリでした、残り1秒ぐらい。
今使っているボスゴドラはメス 14-14-9 で、本当はこんなに使うつもりでもなかったのに、なんとなく流れで使い続けていて、レイドとかジム戦でいつもメンバーに入っている。技的にギャラドスには相性が良い。もっと性能の良いボスゴドラを手に入れていのだけど、早々思うように手に入らない。地道に捕まえていくしかないんだよね。先の長いゲーム。
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朝、花壇を見に行くと、ネコの足跡が付いてました。水を撒いたところには足跡だけで、乾いているところをトイレに使っていた。
お昼に、見るとちょうど茶ネコがトイレを使っていた。現場を押さえたが、見てみるとうんこではなくおしっこだったらしい。どうも庭をウロチョロするのはトイレを使いに来る、というのが一番の目的なのかもしれない。とは言え、狩りをしている現場も目撃しているし、ベランダで寝ていることもあるので、彼(性別は不明)にとっては自分が暮らしている場所、という認識なんだろう。
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小柴先生がお亡くなりになられたとのこと。ご冥福をお祈りします。
小柴先生は、「先生の先生」という年代の人なので、直接会ったのは、つくばでワークショップを開いたときに講演に来ていただいた一回だけ。その講演でも、専門的な内容はほぼなく、一般向けの平易な内容しかお話にならなかった。そんなだから、私は小柴先生のことはあまりよく知らない。京大の取り巻き連中が「小柴先生はレディーボーデンが好きなので用意してください。」なんて言ってたのが印象的。レディーボーデンぐらい自分らで買って来いよ。
そんな小話はともかく、あの「無用の長物」とも思われたカミオカンデでニュートリノが検出できる、と気が付いたのが偉い。通常、太陽からのニュートリノは日夜地球に降り注いでいるから、バックグラウンドのようにずっと信号はあったのだろうけど、それでは何を見ているのかよくわからん、というのが本当の所だろう。超新星爆発があったのは「運」もあったと思う。
大マゼラン雲って、日本からは見えないんだよね。見える場所で超新星爆発起こらないかなあ、、、一度ぐらいこの目で見てみたい。一銀河に平均50年に一回と言われているが、人間の観測範囲では、かに星雲での超新星爆発のあと、まだ観測がない。西暦1054年の出来事だから、かれこれ1000年も超新星が現れてない。
50年に一回って、本当に平均値なんだろうか?
宇宙の創成期にできた質量の大きな星を多く持つ銀河では頻度が高く、時間が経つと頻度が下がる、などということはあるのかもしれない。遠くを見ていると頻繁に起こるのだろうが、私たちの銀河では現状頻度が下がった状態、なのかも。
そーだとすれば、大マゼラン雲での超新星爆発はより「運」と言える。
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ノーベル賞・小柴昌俊さん死去
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6304829
超新星爆発に先立って飛来する素粒子ニュートリノを観測する天文学に道を開き、2002年にノーベル物理学賞を受賞した東京大特別栄誉教授の小柴昌俊(こしば・まさとし)さんが12日、死去した。94歳。東京大が明らかにした。
1926年、愛知県豊橋市生まれ。東京大理学部物理学科4年の時、湯川秀樹氏のノーベル賞受賞を記念して創設された「湯川奨学金」を取得。大学院に進み、宇宙線の実験を始めた。55年に博士号を取得し、70年には教授に就任した。
78年、岐阜県神岡町(現飛驒市)にある鉱山の地下1000メートルに3000トンの水をたたえた巨大装置「カミオカンデ」の建設を発案。研究グループを率いて83年から観測を始めた。
定年直前の87年2月23日、地球から約16万光年の大マゼラン雲で起きた超新星爆発(星が寿命を終える時に起こす爆発)で放出されたニュートリノを観測することに成功した。天体からのニュートリノを、その方向、時刻、エネルギー分布まで明確に検出したのは世界初で、この成果は超新星爆発の仕組みやニュートリノの謎の解明に大きく貢献。02年のノーベル賞受賞につながった。
カミオカンデはその後、数十倍の観測能力を備えた「スーパーカミオカンデ」に引き継がれた。98年にはニュートリノに質量があることを示す「振動」という現象がこの実験装置でとらえられ、世界にセンセーションを巻き起こした。
この間、スイスの欧州合同原子核研究所(CERN)、米シカゴ大などで客員教授を歴任。03年にはノーベル賞の賞金をもとに、基礎科学や科学教育の振興を目的にした「平成基礎科学財団」(現在は解散)を設立、理事長に就任した。
87年仁科記念賞、88年文化功労者、97年文化勲章。00年には、ノーベル賞を一緒に受けた米ペンシルベニア大の故レイモンド・デービス名誉教授と、イスラエルのウォルフ賞を共同受賞している。
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