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2020年11月10日09:12

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【霊的罠と、袋小路。】魂の学校〜その道程と陥穽(かんせい:おとしあな)

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『グラスがいっぱい
になっている人は、
一番接触が難しい。
 
この人たちは
すべてを知っていると
思っているので、

彼らにアクセスできる
可能性は
ほとんどない。


このような人は
教育を受けた人
の中に見かける。
 
 
特に秘教を職業として学ぶか、
一生をかけた趣味にしている
人である。

神父やラビになると予想される
人もこの範疇に入る。


また、作家もそうである。
彼らは一つの体系を
一生をかけて 
勉強しているのである。


--中略--

これらの人々は
グラスの縁までいっぱいに
なっているが、

人生の空虚さに
気づいて、

まさにその時
もう一つの次元に
導かれうるのである。

--魂〈カバラ〉の学校
ゼブ・ベン・シモン・ハレヴィ著』






多くの〈教えの徒〉は、
覚者の本をたくさん読み

彼らと同じような事を語る
同じような
アイデンティティになる事で

権威を持ち、
これ以上すべき事はないと
道に入った覚者として振る舞う。
 
 
他の人は、言うことを聞いたりして、
気分もいいかもしれないが
 
次は、そのベールに取り込まれ
抜け出せなくなってしまい
大量生産の模造品となってしまう。


そこに何もないのに
イメージを模倣した
空虚さしかないのに
それに時間を費やしてしまう。
 
 
しかし、〈道〉に向かっての
真摯さと誠実さからは遠のき、

ベールの向こうの
進む道に進めなくなっている  
 
 
しかも、「わかった」という
アイデンティティが邪魔をして
 
無知に触れる事もなく
脅かされる事もない


もちろん、
「無知から世界は始まる」

とか

「無の極まりにいれば、
すべてが同一である」

とか、

それっぽい事をいい、
「わかったつもり」になっている


しかし、
それは模造品のおもちゃで
遊ぶうちに、
自分自身が模造品となり
 
オリジナルとして、
存在する価値も、
人生の意義も失った

デクノボウとして
存在するだろう。


非常にかわいそうな事ではあるが、
それに一生を費やし、
その中で死んで言ってしまう


はじめて、
探求に応じたとき
臨んだ際の
真摯さや素直さや誠実さ



どこに消えていってしまった
のだろう?


何を失ったのだろう?

何が輝きを失ったのだろう?


それを失った理由を
〈卓越〉した、
〈成就者〉であるという
プラスチックみたいに
温度のない言葉で包んだところで

逃げる事も出来ない。


あの味わいのある
赤ん坊の頃に見た
みずみずした自分は
どこに行ったのだろう?


〈人を超えた〉事にして
見ないようにしてた
物悲しさ

は、何なのだろう?


その物悲しささえ
〈独覚した者の苦しみ〉という
カラっからの物差しにしてしまい


真の〈ジブン〉から
逃げ続けている人は、
誰だろう?


〈覚者のベール〉を
まとうことで、
覆い隠せる
〈ジブン〉とは誰だろう?


まてよ、

〈ジブン〉として
生まれて来て
〈ジブン〉として
探求していたんじゃなかろうか?


この〈ジブン〉を
隠して、

〈覚者のベール(アイデンティティ)〉
という模造品をまとうことさえ

最初は、
嫌った事ではなかったか?


なぜなら、

〈言葉の模造品〉を
集めに来たのではなく


動機は、
〈シンリ〉に関する
事を探る事だったはずだ




再び、時は巻き戻り、

スタート地点に舞い戻る

時は再び動き出す

輝かしい、

イキイキした自分に。


あの頃の青春に。


戻りたかった自分に。


そこから初めたかった
自分に。


偽物のベールは、剥ぎ取られ
あの頃の自分に
再び、舞い戻ってゆく


まといたかったものは、
偽物のベール
ではなく


ホントウのジブン
だったはずだ


あぁ、懐かしい光だ






・・・・




自分にガイドできるとすれば、
今は、ここまでかもしれない

この観点が、
何かの拍子に
 
袋小路の霊性とは
名ばかりの模倣と
機械じみた場所に

ヒビを入れれるのなら、、、



悦に浸っている
知識を貯めたエゴが
 
おもちゃを置いて
ホントウのジブン自身に
向かっていくのなら、、

プライドを捨てて
無知にもう一度飛び込む
勇気が生まれるのなら、、


目の前には、
「人々を思うままに聞かせる
卓越や、優越や、尊厳」もなく
 
 
文明のひずみと
助けるべき
苦しんでいる人々が
写り始めるのかも・・・

しれない。
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