mixiユーザー(id:18013379)

2020年11月01日20:55

28 view

1銭銅貨

 最近手に入れた「1銭銅貨」

 日本では「銭」は「円」の補助単位で、為替などでは普通に使われているものの、多分1円未満の通貨は使えないんじゃないかな? (何かの法律で使用できない旨が記載されているはず。100円札や500円札が使えるのとは違う。)
 その法律を調べてみると「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」でした。これにより、1円未満の通貨は1953年(昭和28年)12月31日で使用できなくなっています。調べてみて分かったのは、江戸時代に発行されていた「寛永通宝」とかは、この法律ができるまで「1厘」として通用していたそうな。戦後まで有効な通貨だったとは、、、


 1枚だけ財布に1銭銅貨が入っているのをふと見ると、

 「10円玉にそっくり」

 なのである。
 そっくりなのは、色合いと大きさだけで、模様なんかは全く別物だが、日常的に10円玉をまじまじ見る習慣なんか、ほとんどの人にないはず。財布の中に入れておくと間違って10円として使ってしまいそう。
 手元にある1銭銅貨は、「大正9年」のもの。当時の物価は良く分からないが、銭の下には「厘」という補助単位もあったので、何か買えるぐらいのお金だったんだろうね。
 ちょっと調べてみると、当時の山手線の初乗り運賃が5銭。東京の銭湯の入浴料も5銭、だったらしい。
 今は、山手線の初乗り運賃で銭湯なんか無理だから、物価スライドもまちまちであるのだが、入浴料が5銭なら、瓶に入った牛乳とか2銭ぐらいなイメージが正しいのだろうか?
 でも、山手線の初乗り運賃って、自販機のジュース1本ぐらいの値段だよね。この価値観はこの何十年で動いていないので、どっちかというと銭湯の入浴料が昔より高くなったのだろうか?
 私が東京で暮らしていた時は、確か銭湯は350円ぐらいだったように覚えている。正直、毎日支払うには辛い金額だった。なので、大半の日は、研究所にあるシャワーで済ませていた。銭湯に行けるのはちょっとした贅沢だった。そのころ山手線は120円、営団地下鉄は140円。銀座線が大正6年に開業した当時は10銭均一料金だったらしい、その後距離によって運賃が変更になったときの最低運賃が5銭だったようだ。
 食べ物の値段が分かればと思うのだが、なかなか見つからない。大正9年は日本でアイスクリーム工業生産(富士食品工業)が始まった年でもある。アイスキャンディーなども恐らく販売されていたのだろう。いくらで? というのはちょっと興味がある。アイスクリームが高級品といううのは分かるが、アイスキャンディーは子供向けのお菓子だろうから、元々そんなに高いものだとは思えない。最初はいくらぐらいで販売されていたんだろうね。
 福岡にある「かどや」という食堂では古来アイスキャンディーの生産と販売が行われていて、その店の情報だと、今は50円だが、最初は5円だったと。

 銭湯の10倍の値段ですか!?

 いや〜、風呂上りに1本、という値段じゃないね。

 -------------------------------------


 ベルリンには一度しか行ったことがない。
 2011年のことだが、ハンブルグから電車に乗って行った。一泊だけしてまたハンブルグに戻ったが、ベルリンの動物園で狼を生まれて初めて見たのが一番印象に残っている。
 街にはベルリンの壁なども一部保存されているので、歴史を感じさせる。元々ドイツの首都だったのだが、世界大戦のあと分割統治される間、ベルリン自体が二つに分割されてしまう、という悲劇の街でもある。「西ベルリン」はぐるっと壁に囲まれて、東ベルリンから亡命しようとする市民が壁の手前で射殺される、とか良く映画で見た。現実もたぶんそうだったのだろうと思うが、実際亡命しようとした人はどのぐらいいるのだろう。

 私が訪れた時には、ベルリンにはまだまだ更地が多かった。東西ドイツの統合は、生産性の悪い東側の工場や住宅などを一掃してやり直す、ということになった。後々行われた京都議定書はこの事実を知らなかったかのように日本が騙された国際取引。ドイツにはそもそも生産性の悪いものが大量にあったので、これを新しいものに置き換えていくだけで容易に達成できる目標を
 
 「日本にも無理強いした」

 のが実態。それが分かっているアメリカ合衆国は、全く無視をして取り合わなかった。東西ドイツ統合前の世界の経済大国は、アメリカ合衆国・日本・西ドイツが3強と言っても良いぐらいだったから、ドイツが一歩前に出るには、USAと日本に煮え湯を飲ませれば簡単だったろう。
 経済圏の違うイギリス連邦(Commonwealth of Nations)は、また別の扱いになる感じなんだろうか? コモンウエルス・オブ・ネイションの中だけで経済が成立するのは羨ましい限りである。日本も同様の経済圏を樹立したくて世界大戦前は何度も戦争をやったんだよね。フランスは表向きは民主的に平等な国家、という建前の国なので、連合王国のように露骨ではないが、独自の経済圏をもって活動している。ロシアも同様(帝国主義だが、、、)。

 コロナ禍が収まっていけば、ベルリンへの直行便も就航していくのだろうね。いつかまた行ってみたいと思う。

 ------------------------------------


■コロナ禍のベルリンに新空港 何度も延期、ようやく開港
(朝日新聞デジタル - 11月01日 09:45)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6290258

 ベルリンで10月31日、新空港が開港した。設計不備などで、当初予定の2011年から何度も開港が延期された。新型コロナウイルスの感染拡大で、世界中で航空関連産業が苦境に陥るどん底からの出発。今後の「視界」もまだはっきりしない。

 第1便となるイージージェット機とルフトハンザ機が31日午後、相次いで到着した。開港セレモニーで、運営会社のエンゲルベルト・リュトケダルドルップ社長は「今日は歴史的な日ではないが、ベルリンとブランデンブルク両州、ドイツ東部にとって非常に重要な日だ」と語った。

 新空港「ベルリン・ブランデンブルク空港」は、1990年の東西ドイツ統一後に構想が浮上。ベルリン近郊の旧東ドイツ地域にあるシェーネフェルト空港を拡張する形で、2006年から建設が始まった。これまで首都の玄関役を担ってきたベルリン西部のテーゲル空港の約4倍の広さ。ドイツではフランクフルト、ミュンヘンに続く3番目の規模になる。
3 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する