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2020年10月22日23:28

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有名税が高すぎる

医療従事者でもないのに科学的な興味で日経メディカルのメルマガに登録していて、今回こんな記事がありました。

選手の不倫に罰を与えるのは専門家の統治組織がやることではない
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/bito/202010/567616.html

競泳の瀬戸大也選手の話で、医学と関係ないのにと思っていたら、医師の倫理教育に関してもおかしいと感じている、と言う話でした。これは普段から私も感じていることで、能力の有効活用と言う意味でも、人間性に問題があるなら業務に支障がなくても処分、と言うのはムダだと思います。もちろん、人間性に問題があれば職権乱用も起こりやすいので、いくらでも替えがいるのであれば人間性を基準にして選んでもよいでしょうけれど、明確な評価基準(競泳ならタイム)で他を寄せ付けない優位性があるのに人間性で否定されるのはちょっと違うと思います。

「子供に悪影響が出る」「何かの能力で優れていれば、何をしても許されるわけではない」と言うのは話が全く逆で、優れた能力を持っているからと言って人として優れているわけではない、と言う前提が社会に定着していないから「何かの能力で優れている」から甘やかされたり、子供に純粋にあこがれてよいと思わせたりしてしまうわけで、能力を社会に提供してもらうにしても、それと人間的な評価はきちんと切り離し、悪いことをしそうならそれに見合った監視の目をつけておく必要があるだけの話です。

倫理的な教育に意味があるとすれば(と言うか、必要だと考えます)、スポーツ選手などでは肉体的な鍛錬に時間を割きすぎて、社会的な常識とか、そのベースになる一般教養が身につかない可能性がありますから、そこを補完するために実施すべきです。脱税や薬物など、違法の判断が難しいものもありますし、人間性に問題があれば競技から引退した途端に社会的に見捨てられるようなリスクもありますから、そこへの予防策として人間性を高める必要があることは、能力だけでちやほやされ続ける立場だからこそ学ぶべきでしょう。

スポーツ選手のような立場では、そのスポーツの振興のために有名選手を広告塔として競技団体が活用しているようなケースもありますから、そういう意味で「処分」するなら(実際にCM等は契約破棄になっているとかで、それと同様に)わかりますが、競技に参加させないと言うのは別でしょう。バッシングを受ければメンタルで不利になるとか、そういうのは自己責任の範疇でしょうけれど、競技で成果を出して、その成果についてはちゃんと評価する、と言うのが、能力だけで好き放題が許されるような状況を作らないための予防策になるように思います。
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