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2020年10月12日18:12

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筒美京平先生

今日はやはりこのニュースを取り上げざるを得まい。
日本の流行り歌と言えば今ではJ-POPという呼び名が一般的だが、かつては「歌謡曲」という、演歌ともフォークソング(後のニューミュージック)とも違う大きなジャンルが存在した。このジャンルの創始者でありかつ最大のヒットメーカーであったのが筒美先生であることは論を俟たない。

で、どんな曲を書かれたかということだけど、
https://www.uta-net.com/composer/37234/4/

あたりをご覧になり、かつリストを「人気順」でソートしていただくと、お馴染みの曲がズラリと表示されることだろう。

個人的には、筒美先生の作品を年代別に3つに分けることができるのではないかと考えている。それぞれの時代に良きパートナーとなる作詞家が居た。

第1期は橋本淳とのコンビ、代表曲はいしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、ヴィレッジ・シンガーズ「バラ色の雲」、平山三紀「真夏の出来事」など。
第2期は阿久悠とのコンビ、代表曲は尾崎紀世彦「また逢う日まで」、岩崎宏美の初期シングル諸作品あたり。
第3期は松本隆とのコンビ、代表曲は太田裕美の有名曲ほぼすべて、80年代になると近藤真彦、小泉今日子、C-C-B、中山美穂などなど。ワタクシは太田裕美さんの大ファンだったので、当然ながら第3期が一番好きである。

第2期と第3期との違いは、編曲を自分で行うか専門のアレンジャーに任せるかの違いともほぼ重なる。岩崎宏美と太田裕美は実はほぼ同時期のデビューだが、宏美さんの曲は基本的にご自身でアレンジしていた一方、裕美さんのほうは「九月の雨」など一部の例外を除いて萩田光雄さんに任せていた。ことアレンジに関しては、萩田さんや船山基紀さんといった一回り若い世代に任せた曲のほうが今でも古臭さをあまり感じない。

とにもかくにも不世出の音楽家でした。R.I.P.

■筒美京平さん死去「スニーカーぶる〜す」など作曲
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6265375
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