彼の脳裏で大きく割れた氷河の裂け目が、ピタリと動きを止めた。音も消えた。
「ファリって、まさか、そんな・・・・」
「そのまさかだよ」
彼の頭の中が一瞬真空になった。そんな・・・・。少しずつ空気が入り始めても、何がどうなっているのか、どこでどうなったのか、全くわからなかった。けれども今、彼の横に座っているのは間違いなく彼の。
彼はファリを抱きしめた。思い切り抱きしめた。
「痛いよ、ねぇ」
そう言いながらファリも彼に強く抱きついた。そうしながらファリはボロボロと涙をこぼした。薄いシャツ越しに彼の胸がそれを感じ取るほどに。
「ごめん。淋しかったよね」
彼が声を震わせて言った。
「お父さん・・・・」
揺れる声でファリは何かを確かめるように、深い深い思いのこもった「お父さん」を返した。
「親子ごっこなんかじゃなかったんだから」
遅い潮の表面に浮かぶ流れ藻が遠く見えなくなってしまうほどの間、ふたりはずっと言葉もなく抱き合っていた。
彼はようやく気づく。ハリのこの懐かしい、特別な香りは新生児の匂いだったのだと。ハリはまだこの世界では、ゼロ歳だ。
野生化したヤギがンエェェーと鳴く。
「あのさ、ファリ」
ようやく傾きかけた陽射しの中で彼が言った。
「何? お父さん」
「もう呼び慣れちゃったから、ついハリって呼んでしまうかもしれない」
彼の肩に頭を預けたままのファリが答える。
「花梨、ファリ、16年前にお父さんがつけてくれた名前だから気に入ってるよ。でもハリはこの世界に来た私にお父さんが2回目につけてくれた名前だもん。王偏の玻璃も気に入ってる。それにこの島を舞台にしたドラマのヒロインは瑠璃ちゃんだったんでしょ。私は玻璃でいい。玉城玻璃です。ハリポタとかハリセンボンとかからかわれても、強い子だから平気」
彼はその回答に顔をほころばせながらも苦笑して言う。
「聞き間違ってつけちゃった名前だけどね」
「それもきっと何かの必然だったんだよ」と玻璃も笑う。
「それじゃ玻璃、ひとつ気になってることがあるんだけど、智子、お母さんはどうしてるのか知ってる?」
玻璃は声を沈ませた。
「わからない。でも多分、もう亡くなってると思う。私が宇宙の果てに生じたとき、お父さんからのサインはあったけど、お母さんからのサインは全然なかったの。何も感じることができなかった。だから多分、もうこの世界にはいないと思う。どこでどうなったのかも私にはわからない。私が霊魂とかそういう存在だったらあちらの世界で会えたりしたのかもしれないけど」
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