mixiユーザー(id:12410478)

2020年09月06日13:40

185 view

大学の授業は結果責任。いい機会だから、振り返ろう。楽をしていないか。

コロナ云々と関係がない平時の授業評価は、結果責任です。

たとえば、鮭の人工授精と放流をしている人がいるとします。
「おれは、一億匹も放流したのに、百匹しか母川回帰していない。鮭がアフォなんだ。」と言ったら、「アフォなのはオメエだ」と失笑されるだけでしょう。
一万匹放流して、千匹母川回帰させた事業者の、十分の一しか価値がありません。

授業が結果責任であるとは、いかなる理由があれ、評判が悪かったり学生が力を付けなかったりした授業は、悪い授業だということ。
アレコレ事情を考え、実態にかんがみて得られた仮言命法
(仮説的命令。ぼくはドイツ語はダメですが、混乱しないように言っておくとHypothetischer Imperativの訳。カント哲学の用語ですがいろいろな訳し方があるようです)
ではありません。

定言命法
(定言命令、独: kategorischer Imperativ)
です。原理的にそれしかない、絶対的なものです。


自分の講義に先立って、別の大学に勤務する友人の遠隔を手伝いました。

まず気になったのは、学生の声しか聞こえず、顔が見えないことです。
何でも窓に映った光景から、住まいを特定したストーカー事件が起きたとか。もちろん、その大学の話ではなく、世間では、という話です。このナンセンスは説明するまでもないでしょう。

それから、講義は、早口では伝わらない、複雑な作業を強いることができないという前提があります。だから、どう贔屓目に見ても教えなければならないことの三分の一しか、語っていません。

そうしたら、今度は、自分の番になりました。

始めるにあたって、じっくり考えたのは、
「大学から学生は何を得るのか」
という問題です。

サークルや友人、学生街の定食屋などから受けるいい影響は、コロナだから仕方がない。お休みするしかない。
では、講義や演習から何を得るのか。

学問の骨子なら、本や論文を読めばわかります。
それだけでは足りないのは、
1 応用的な適用や一般社会との関連。
2 発展(一般論ではなく、それぞれの個性に合わせた発展)
3 電波効果
です。

そこで思い切って、テクストデータの配信とチャットにしました。

1は、
☓「大切な取引先と話すときに『我社的には』という正しい言葉遣いをしなければいけない」とネットに書いてあった。
☓「謙譲語はへりくだる言葉である」とネットに書いてあった。
などという、おぞましい間違いがありました。個別に対応してよかったです。

2については、
「ウナギ文」というものを教えたときのフィードバックが素晴らしかったです。
「ウナギ文」とは、「ぼくはウナギだ」「ぼくは共産党だ」の類の文章です。「ぼくが注文するのはウナギだ」ということになりますが、Iam eel.
と訳したら意味が通じなくなる、日本語や漢文の現象です。

こういうことを言った学生がいました。
…小学校時代、ウナギ文を使って、「先生、トイレ」と言ったら、「先生は、トイレではありません。」と叱られた。

大きな問題があります。
(1)「先生、トイレ」はウナギ文ではない。「先生」は、呼びかけだからだ。
(2)この先生は、日本語を理解していない。注意するなら、「先生、トイレに行かせてください」と述べよでないとダメ。「先生は、トイレそのものではない」と言いたいのだろうが、もしそうなら、ネイティブの日本人の日本語力を持っているとはいいがたい。

相手がどのように誤解しているか、教える側は、わかりません。
だから、それを発見するためには、一方通行の講義より、ゼミナール。そして、もしかしたらチャットはゼミナールの上かもしれません。

さらに、「ウナギ文」の主格について、主格は複数あり(数は不明確である)、構造をなしているなどの、これはウィトゲンシュタインか! と思われるチャットもありました。

ここは、どこの旧帝大の大学院か…

わかったのは、抜群の力がないとどんな初歩の講義も担当できないということと、
大学の演習は、工夫の仕方がさまざまあり、
楽をしたいためにおざなりになっていないか、反省の必要があるということです。


秋田大生、1割超にうつ症状
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6213781
7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年09月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930