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2020年09月05日16:27

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ぼくのおじいちゃん

フォト

これはぼくのおじいちゃん。
ぼくが中学生のときに亡くなったが、
画家だった。

先日、棚の整理をしていたカッペが見つけてくれた写真だ。
「これ、おじいちゃんじゃない?」
もちろんカッペは会ったこともないのだ。

懐かしいなぁ。

幼かったころ、
姉とふたりでおじーちゃんの制作風景をよく眺めてたけど、
正にその当時の一場面を切り取った写真だ。
一体誰が撮ったのだろう?

久保田耕民は、
南画というジャンルではかなりの大御所だったらしい。

ぼくたちが子どもの頃に遊んだ児童公園は、
このおじいちゃんが役所にかけあって作らせたものだった。

明治生まれの頑固一徹。
ぼくのようにふにゃふにゃした「おじーちゃん」とは異次元の存在で、
孫を猫かわいがりするような人ではなかったけれど、
幼心に何か気骨のようなものを感じて、
ぼくはおじーちゃんが好き、というより憧れていた。

広いおじいちゃんの画室では、
仲間やお弟子さん、踊りのお師匠さんや芸妓さんも参集しての、
大宴会がよく開かれてたっけ。

ぼくは芸妓さんたちに
「耕民先生のぼん」と呼ばれて可愛がられてた記憶が残っている。
まだ小学生の低学年だった頃かな。

同じころ、幼稚園だったのか小学校だったのか、
学芸会みたいなものがあって、
それぞれ家でお面をつくってくることになっていた。
ぼくはネズミの役だった。

孫のためにひと肌脱いでくれたおじいちゃんが、
クレパスで描いてくれたネズミのお面は、
しかしあまりにも写実的というか本格的だったものだから、
周りの子たちのお面群から完全に浮き上がってしまっていて、
それが恥ずかしかったという思い出も残っている。

あのときのネズミのお面、未だに憶えてるんだよね。
ホントのネズミだった。

憧れだったおじーちゃん。

でも、隔世遺伝の栄誉は授からなかったようで、
ぼくは笑ってしまうほど絵が下手だし、
気骨の「き」の字もない。

おじいちゃん、
もう思い出すことも少なくなっていたことごめんなさい。
お元気ですか?

やっぱりそちらでも絵を描いているのですか?

おじいちゃんが亡くなった歳まであと8年になりました。
今になって、おじいちゃんに訊いてみたいことがいっぱいあります。

いつか、ゆっくり話を聞かせてくださいね。
そのときまでどうぞお元気で!
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