これはぼくのおじいちゃん。
ぼくが中学生のときに亡くなったが、
画家だった。
先日、棚の整理をしていたカッペが見つけてくれた写真だ。
「これ、おじいちゃんじゃない?」
もちろんカッペは会ったこともないのだ。
懐かしいなぁ。
幼かったころ、
姉とふたりでおじーちゃんの制作風景をよく眺めてたけど、
正にその当時の一場面を切り取った写真だ。
一体誰が撮ったのだろう?
久保田耕民は、
南画というジャンルではかなりの大御所だったらしい。
ぼくたちが子どもの頃に遊んだ児童公園は、
このおじいちゃんが役所にかけあって作らせたものだった。
明治生まれの頑固一徹。
ぼくのようにふにゃふにゃした「おじーちゃん」とは異次元の存在で、
孫を猫かわいがりするような人ではなかったけれど、
幼心に何か気骨のようなものを感じて、
ぼくはおじーちゃんが好き、というより憧れていた。
広いおじいちゃんの画室では、
仲間やお弟子さん、踊りのお師匠さんや芸妓さんも参集しての、
大宴会がよく開かれてたっけ。
ぼくは芸妓さんたちに
「耕民先生のぼん」と呼ばれて可愛がられてた記憶が残っている。
まだ小学生の低学年だった頃かな。
同じころ、幼稚園だったのか小学校だったのか、
学芸会みたいなものがあって、
それぞれ家でお面をつくってくることになっていた。
ぼくはネズミの役だった。
孫のためにひと肌脱いでくれたおじいちゃんが、
クレパスで描いてくれたネズミのお面は、
しかしあまりにも写実的というか本格的だったものだから、
周りの子たちのお面群から完全に浮き上がってしまっていて、
それが恥ずかしかったという思い出も残っている。
あのときのネズミのお面、未だに憶えてるんだよね。
ホントのネズミだった。
憧れだったおじーちゃん。
でも、隔世遺伝の栄誉は授からなかったようで、
ぼくは笑ってしまうほど絵が下手だし、
気骨の「き」の字もない。
おじいちゃん、
もう思い出すことも少なくなっていたことごめんなさい。
お元気ですか?
やっぱりそちらでも絵を描いているのですか?
おじいちゃんが亡くなった歳まであと8年になりました。
今になって、おじいちゃんに訊いてみたいことがいっぱいあります。
いつか、ゆっくり話を聞かせてくださいね。
そのときまでどうぞお元気で!
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