劣等生について考えています。今日のテーマは重大なテーマですので、いくつかに分割して書き直すこともあるかもしれません。
考えていくうちに、究極のモデルがほしくなりました。
ところが、成績不振者の究極のモデルは、知的障がい者でしょうが。それはここでいいたい劣等生ではないです。
なぜか? 知的障がい者はある面では非常に知性が発達しているからです。たとえば、人間関係の判断が非常に巧みであるなどです。
コンピュータにたとえると、ハードがある種の作業に向かないだけ。
優劣は付けられません。たとえば、情景を写真のように暗記できる人もいます。そういう能力は、常人にはないのは明らかです。
この日記では、ソフトのことを考えています。というのは、ソフトを変えれば成績が上がったりする可能性があるからです。
ということで、逆の究極のモデルを考えました。私は理科系のことはわかりません。小平邦彦や南部陽一郎が優秀だといわれても…
文系専攻者の中で、近代日本で誰が一番優秀か。。
まちがいなく、井筒俊彦です。これには異論がある人は少ない(というよりも井筒俊彦を知る人の中には、皆無だ)と思います。
二十ケ国語を完全に習得し、私でもよくわかる禅理論では、天下一品。
一般的に『コーラン』の翻訳家として著名であり、イスラームの神秘主義、禅、インド哲学の融合を試みました。
そこで、井筒俊彦と普通の人がどのように違うかを考えてみました。
最近、英語が非常にできる同僚とこういう話をしました。
E氏「やっちゃん先生のお嬢さんは、英語が非常にできていいですね」
ぼく「いや、英語だけでちっとも頭がよくなったと思えないのですよ」
(これは本当。toeic が950を超えても、政治経済や文化に対する思考は非常に浅薄です。たとえば、イギリス経済の現状に対する分厚い英語の本はペロッと読んでも、ロックやホッブス、ケインズやミルを読んだ形跡はないです。大学に入ったら変わるか? と思いきや、語学が伸びただけでした。)
E氏「いや、そういう時期がないとダメです」
ぼく「???」
E氏「政治や文学などに凝ると、その時期は、語学が伸びなくなるんですよ」
ぼく「!!」
その通りです。
一度、娘に語学上達の秘訣を聞いたことがあります。
「物真似だ」といっていました。なるほど。。
だから、語学ができない人(「物真似」ができない)がいます。また、物真似が得意だから、習得に特化してしまう人もいます。
これは、実際にそうです。
外語大、上智などの学生は、少なくとも70%は凡庸です。凡庸とはその辺歩いている兄ちゃんねえちゃん、たとえばコンビニの店員や携帯の売り子と変わらないということです。
残りから井筒俊彦のような人が出ます。
では、井筒タイプとそうでない人はどのように違うのでしょうか。。
<下>に続く。
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