mixiユーザー(id:330483)

2020年06月28日21:20

89 view

【映画】『もののけ姫』

2018年2月4日に日劇の最終上映で見て以来の再見。息つく間もない面白さ。冷静に考えると脚本は結構大雑把で、登場人物の行動のベクトルはとっちらかっているし、テーマも大風呂敷を広げるだけ広げて畳み切れていない。しかしそんな理屈を凌駕する「活劇映画」としての完成度がせ凄まじい。公開当時、黒澤明と比較する声があちこちから聞こえてきたが、活劇としてのダイナミズムで言えば、黒澤映画を完全に凌駕している。森を駆け抜けるアシタカたちのスピード感。地響きを立てて疾走するイノシシの群れの重量感。そしてディダラボッチの巨大さ。これぞ映像スペクタクルだ。
リアリズムの観点から言えば、人間であるアシタカやサンにあんな凄まじい跳躍力があるはずがない。しかし映画としての圧倒的強度故に、「この世界では、多くの人は超人的な身体能力を持っているのだ」という約束事を、ごく素直に納得させられる。
 
しかし活劇としての魅力が文句無しな分、ドラマとしては少し不完全燃焼なのが残念だ。答えが出るようなテーマでは無いので、理路整然とした作劇に陥るのをあえて避けたのではないかと思うが、結論など出さなくても、キャラクター同士の意思と意思のぶつかり合いを、もっと鮮烈に描くことは出来たのでは。登場人物の意思や行動にブレがあり、そのブレをドラマとしてうまく消化できなかったため、物語としては腑に落ちない部分が最後まで残る。
そしてもう1つ残念なのは声優陣。サンの石田ゆり子やエボシの田中裕子は棒読み気味で明らかに上手くないし、アシタカの松田洋治ももう少し豊かな感情表現ができたはずだと思う。宮崎駿は、後年になるほど既存のいわゆる声優を使うことを避けるようになるが、その傾向は、すでに『もののけ姫』の時から芽生えていたようだ。日本のアニメ声優特有の話し方を嫌うのは分からないでもないが、声の演技に慣れていない顔出し俳優や、いわんや庵野秀明を使うことが、その対案として成功しているとは到底思えない。
だから本作の声の演技に関しては、脇役の方が充実している。同じ顔出し俳優でもジコ坊役の小林薫は別格的に上手いし、モロの声はもはや美輪明宏以外考えられない存在感。「黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか!」…美和様にあんな風に罵倒されてみたい(笑)。そして牛飼いや鑪場の女などに、何気に文学座の俳優陣がチラホラ。役名無しで近藤芳正の名前も。ナウシカこと島本須美もいる。道理で、あの鑪場が生き生きとしているわけだ。そして作画監督には『若おかみは小学生!』の高坂希太郎の名が。

そんなわけで、脚本と声の演技に難はあれど、活劇映画としての魅力と壮大な世界観、全編に溢れる豊かなイマジネーションは、それを凌駕して有り余る。日本映画が生んだ名作中の名作と言って間違い無いだろう。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年06月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

最近の日記

もっと見る