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2020年06月21日13:27

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他人に与えられる存在であるために継続的に努力を続ける人

女子がダイエットやトレーニングしてきれいになると、周囲の男子は恩恵にあやかれる。
つまり女子がきれいになる努力は他人(主に男子)に与える努力と思われる。
一方、女子は他人に与えれる(可能であるということあえてら抜き言葉)存在になっても、「直接的」には当人の空腹は満たされない。「間接的」に与えた男から貢いでもらったり、施してもらえる機会は増えるかもしれないが。
しかし、与えた後「間接的」に他人から施しを気持ちよく確実に受け取れるかは現実的には難しい問題がある。美しくなって男子に「与えている」はずなのに、うまく施され技術を発揮しないと、他人(男子)からは「わがまま女」とか「性格が悪い女」と言われる場合がある。つまり努力して美しくなってからの「当然の権利」の行使は技術的にそれほど容易ではない。
さらに、同性の他人(女子)からの嫉妬は苛烈になる。つまり日常生活が窮屈になる。
そんなこんなで女子がダイエットやトレーニングをしてきれいになることは、本人のモチベーションにつながらなくなる「事情」もあるのかもしれない。
それゆえに、ずっときれいな女性は希少性が高く、異性や同性に対する「立ち振る舞い」にも卓越した賢い人間である可能性も高くなってくると思われる。

一方、男子の場合は「知性」が女子の「美貌」に置き換わるような気がする。
男子の場合、男性ホルモンが導くままにオラけて威勢よくやりたいことをやって生きる方が本人の空腹は満たされるのが生理的な本来の姿だと思う。
男子にとって「知性」は「直接的」には本人の空腹を満たさないが他人「雇用主や顧客」に与えれる特性であり、他人に与えた後に自分の腹を満たすにはまた別の「立ち振る舞い」のような技術に卓越している必要がある。うまく立ち振る舞えなければ、無賃労働やサービス残業でこきつかわれる器用貧乏になって最後に「ごくろうさんw」って言われて使い捨てにされかねない。また同性(同僚や上司や部下)からの嫉妬は女子の美貌に負けず劣らず苛烈である。つまり日常が窮屈になる。

自分は(直接的には)与えられない(受動態)のに、他人に与えれる存在になるために継続して努力をし続ける人は、よっぽど他人からの愛を受け取って、人類へのゆるぎない信頼をもち、慈愛に満ち溢れた高潔なお釈迦様か聖者なんだと思う。自分も(もし成れたら)そうなりたいもんだ。 癌や鬱になりさえしなければ。
あるいは、他人に与えれる存在になると同時に、「きちんと」リターンを得られる賢さも併せ持つようにしたほうが精神衛生上よろしいようだ。
いうて、賢さとは言い換えれば人間どうしのしがらみにどっぷり溶け込んで社会を器用に泳ぎ回れる技能だとしたら、いずれにしても邪魔くさい作法の習熟と実践ですね。
飽食の時代でも感じるこの息苦しさにさらに自分で自分の首を絞める努力をしながら立派な人間やれてる人はやはりスーパーマンあるいはスーパーウーマンでつね。
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