mixiユーザー(id:330483)

2020年06月21日11:38

116 view

【映画】『タワーリング・インフェルノ』旧ハリウッド最後の徒花

これは、私が映画を本格的に見始めるきっかけになった思い出深い作品だ。それだけに、82日間のブランクを経て映画館に戻る、言わば映画ファンとして第2のスタートを切るのにちょうど良いセレクションではないかと思い、復帰第1弾として選んだ。

先述のような思い出を壊さないため、1980年代に見たのを最後に、ずいぶん長い間見直さないようにしていたのだが、2014年の12月30日に、新宿ミラノ座のさよなら上映で三十数年ぶりに観賞。ミラノ座という古い巨大映画館の最終上映には雰囲気がピッタリで、満員の劇場で大いに楽しむことが出来た。それに比べると今回はそこまでスクリーンが大きくないし(シネコンの中スクリーンだが、そりゃミラノ座に比べれば…)、客も10人程度。6年前のようなお祭り感覚が一切無い状態でクールに見てしまうと、さすがに「古い映画」だなと感じる。
 
製作は1974年(日本公開は1975年)だが、本作の本質は、1950〜60年代に盛んに作られた旧時代のハリウッドスペクタクルそのものだ。アメリカンニューシネマからの影響はほとんど見られず、1970年代の作品としても作劇センスが明らかに古い。本作の2年前に作られた『ゴッドファーザー』が、アメリカンニューシネマの要素を取り入れた新時代ハリウッドの幕開けを飾る大作だとすれば、本作は旧時代ハリウッドが咲かせた最後の徒花と位置づけると分かりやすい。

今回見て特に古いと感じたのは、演出と編集のセンスだ。重要な人物が死ぬところが妙にあっさりしていてドラマ的な盛り上がりに欠ける、もっさりとしたカットバックは緊迫感が薄い、今 登場人物がいるのが何階で一体どこへ向かおうとしているのかが分かりにくい…などなど、いろいろ気になるところがある。最初の方で苦笑したのは、男女のキスシーンをわざわざズームアップして、バーン!という感じで大画面に大写しにするところ。「美男美女の接吻」が銀幕上のスペクタクルとして成立した旧ハリウッドの映画文法そのもので、今回最も古さを感じた演出だ。

逆に特撮関係は、意外と古さが気にならない。もちろんブルーバック合成が目立つシーンだらけだし、パーティルームの向こうにある風景はどう見ても絵だ。グラスタワーは数十メートルの模型を実際に作ったとは言え、火や水の大きさから「しょせん数十メートルの模型」であることが分かり、リアルさに欠ける。しかし炎と水に関して言えば、何しろCGなど無い時代だから全部本物。それ故に扱いが不自由でCGを使用した作品のような派手さには欠けるが、本物ならではの迫真性がある。ダン・ビグロー(ロバート・ワグナー)が全身炎に包まれながら火の中をさまよい下の階に転落するところなど、実際にスタントマンが炎に包まれて演じたのだから狂気の沙汰だ。画面に描き出される炎は全てが本物で、触れれば人の肉体を焼いてしまう…この積み重ねがボディブローのように効いてきて、後半になると登場人物の果てしない疲労感と絶望感がとてもリアルに感じられる。次々と倒れていく名も無き消防隊員たちの姿にも胸がつまる思いだ。
そして終盤は、グラスタワーの高さを利用したスペクタクルが主になる。グラスタワー内部(階段や吹き抜け)のシーンは、高さの演出がうまくないが、建物の外側で展開されるシーンはなかなかのものだ。どれもブルーバックが目立つ古い特撮だが、何しろグラスタワーの高さが桁外れなので、今見ても足がすくむようなシーンばかりで、夢に出てきそう。おそらく強い風の描写が緊迫感を高めているのだろう。
また、この10年で我々は東日本大震災という未曾有の災害、そして今はコロナという別種の大災害を経験している。そんな経験をした後で見ると、本作に込められた文明の奢りに対する警告は以前よりもリアルなものとして響くし、災害の中で死んでいく人々の姿にも深い共感を覚えずにはいられない。
つまり「作劇や演出のセンスが古い」ことは否定できないが、それは必ずしも「つまらない」とイコールではない。その古さやダサさに辟易する部分も多いし、明らかな中だるみもあるが、全体としては今見ても十分に楽しめる力作だ。
 
 
昔見た時はポール・ニューマンの知的なスマートさに強く惹かれたが、今見ると本作におけるスティーヴ・マックイーンの格好良さは尋常ではない。寡黙で行動的なプロフェッショナルそのもの。しかも名台詞の数々をビシッビシッと決めてくる。決して派手ではなく「鍛え上げられた職業人」に徹しているところがひたすら格好良い。これはマックイーンもさぞかし演じ甲斐があっただろう。普通なら子ども時代はマックイーンに惹かれ、大人になったらニューマンに惹かれそうなものだが、その逆であるところが、我ながら面白い。

一方のポール・ニューマンだが、今になって冷静に見ると、彼が演じたダグ・ロバーツはかなり問題が多い人物だ。こんな大プロジェクトの設計者なのに、最後の数か月間はバケーションに出かけて仕上げを全くチェックしていない。そして竣工式の当日になって「いろいろなところが俺の指示と違う!」って…それプロとして甘すぎだろう(笑)。「お前が休みなんか取らず仕上げのチェックをしていれば起こらなかったもしれない大惨事だぞ」と言いたくなる。
しかも設計者なのに、最上階にある給水タンクを利用する発想が全くなく、どこの誰とも分からない外部の技術者のアイデアによって火事を消し止められるのも情けない。脚本的に言えば、せめてタンクを使うアイデアは彼が出すべきだったのではないか。子供のときは、すごくキビキビとした優秀な大人のように見えたが、大人になって見ると、やることなすことプロとは思えない甘さが目立ち、プロ中のプロであるマックイーンの引き立て役になっている。
その上、ヘリコプターで救助を試みる場面では、統率者として先頭にいたのに、女性たちが駆け寄ることを制止できずヘリコプターが事故を起こしてしまう。展望エレベーターによる脱出では、彼が余計なことを言ったせいで、結果的にはジェニファー・ジョーンズを死なせてしまう。この人、いろいろとダメ過ぎはしまいか(笑)。

なお本作は、大スターではない脇役にいい味を出している人が多い。特に市長夫妻が半ば死を覚悟して、子どもたちに最後の言葉を残せないことを悲しむシーンは、実際のさまざまな災害下で起きたドラマを想起させ、涙腺が緩む。パーティルームまで上っていく消防士2人(黒人と白人)は、「その他大勢の消防士」を代表するキャラクターであり、本作の影の主役と言ってもいいほどだ。そしてあのバーテン。子どもたちに美味しそうなパフェを出して「他にご注文は?」と聞くところや、'29年もののワインを守ろうとしてウィリアム・ホールデンに「そんなものほっとけ」と言われるところは、昔から大好きなシーンだ。彼には生き残って欲しかった。この作品が旧ハリウッド映画に比べると、さすがに少し新しいと思えるところは、昔ならきっと生き残ったであろう人物も容赦なく死なせることで、これがサバイバルサスペンスとしての緊張感を高めている。
 
ところで『タワーリング・インフェルノ』は何だかんだ劇場で見る機会があるのだが、『ポセイドン・アドベンチャー』の方は、なぜまったくリバイバルされないのだろう。私もテレビで1回見たことがあるだけだ。シンプルなサバイバルドラマなので、それこそ特撮の古さなど関係無く、今見ても十分感動できる作品だと思うのだが。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年06月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

最近の日記

もっと見る