mixiユーザー(id:33120836)

2020年05月31日00:00

15 view

判断の根拠

トランプ大統領が自身の投稿にツイッター社が「要事実確認」との表示をしたことで、SNSの制限を検討すると発言したことが話題となりました。まあ、事実と異なる発言をSNSに投稿することで同調者を増やしたトランプ氏としては、それを阻害されるならないほうがマシ、ということでしょうか。もっとも、トランプ氏の同調者は自分の見たいものしか見たいタイプでしょうからそんな表示を気にするとは思えず、トランプ氏自身は同調者を確保し終えたし、次の似たような現象で追い落とされることを警戒したほうがよいという判断かもしれません。

私はおそらく人並みからすると格段に事実確認が好きで、それは自分がせっかちで勘違いが多く、さらには知らないことだらけであるにもかかわらず間違えることが嫌いだからだと思っています。間違えない最善の方法は発言しない、判断しないことですが、それでは何もできませんから、可能な限りの事実を確認し、何が正しいかを考えるようにしています。とはいえ、判断に十分な情報が常に得られるとは限らず、少し前までは「情報が不足しています」と昭和SFのコンピュータのような回答を連発する状態でしたけれど、発言し、判断することが「何かをなす」ためであるなら、情報が不足していても判断や発言をしなければならないと気が付き(と言うか、どこかで読んで共感したのでしょう)、態度を改めることにしました。とは言え、手に入る情報を探しもせずに直感(直観ではなく)で判断、発言することは(時に有利であるとはいえ)よい態度とは思えません。

直感での判断は、一般的には自由意思の発露と思われていますが、心理学的な研究ではかなり機械的な基準で行われていることが知られています。要するに環境を整えれば他者が容易にコントロールできると言うことであり、それを自由と呼ぶのはかなり違和感があります。もちろん、その人の置かれた環境を生まれる時点まで遡ってコントロールできる他人はそういませんから、そのことが即、他人を自由に操れると言うことにはないものの、シャア風に言えば、「自由意思というヤツは、言葉で言うほど自由ではない」と言うところでしょう。人は情報と知識によってより自由になるわけで、ただ、自由と幸福はまた別かもしれません。ともあれ、直感を疑ってみる根拠は十分にあります。

そんなわけで、私は自信を含めて直感を疑うことにしており、しかしながら、そういう態度は一般的ではないので、しばしば他者の発言に追加「その判断に根拠はあるか」「正しい論理展開をしているか」を確認しようとして、「俺の言うことが間違っているというのか」「疑うのか」と反感を買うことになります。そういう意味では「俺の」ではなく、誰のでも疑うわけですが、そういうタイプの人は敵と味方を分け、敵の言うことは疑うし、味方の言うことは信じようとするので、厄介です。敵の言うことが正しいこともあれば、味方の言うことが間違っていることもあるわけで、まあ、そういう態度は一部の人には嫌われるし、そういう人のほうが強い組織(組織としての力が強いかどうかではなく、組織内部の結束が強い)を作れるので、私のようなはぐれものよりも基本的に強い立場にいますから、なかなか厳しいものがあります。まあ、今回のパンデミックでそういう風潮が少しでは変わるとありがたいとも思います。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する