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2020年05月18日23:58

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伏見桃山御陵(木幡山伏見城)

伏見桃山御陵https://goo.gl/maps/ztV8sFxnFxJ1SxMV9
明治天皇と昭憲皇太后が眠っておられる御陵で、かっては太閤殿下の築いた伏見城本丸がありました。
 1912年(明治45年)7月30日、明治天皇は東京の宮城・明治宮殿で崩御されました。同年(大正元年)9月13日に東京・青山の帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)にて大喪儀が執り行なわれた後、翌9月14日に埋葬されました。
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この石段の斜面にケーブルカーの軌道を敷き、台車に柩をのせて引き上げられました。
 小さい頃、帝国軍人だった祖父に暇があれば連れられて、この階段を登ったのは良い思い出です。
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御陵正面からは宇治川・桃山南の街並みが見られます
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明治天皇陵
 ここに伏見城本丸があったと云われています。
時の天皇の信仰や財政等の事情により古墳はしばらく作られず、土葬や火葬で暫く葬られていましたが、幕末に尊王攘夷と王政復古の気運が高まると孝明天皇の時から墳丘が作られるようになりました。
 正月の三が日は墳丘の前まで行く事ができます。
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墳丘は古式に範を採った上円下方墳で、下段の方形壇の一辺は約60メートル、上段の円丘部の高さは約6.3メートル、表面にはさざれ石が葺かれている。
 方形の墓坑を掘って内壁をコンクリートで固め、その中に棺を入れた木槨を納めた。槨内の隙間には石灰を、石蓋をしてコンクリートで固めた。上円下方墳の墳形は天智天皇陵がモデルにされたという。
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西側の参道を下り、かって伏見城二ノ丸方面へ向かいます走る人
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参道には発掘された伏見城の石材が置かれていますhttps://goo.gl/maps/M9bG9MmcorD7vvuE7
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途中で作業が中止になったのか矢穴が空いた石材(残念石)もありました
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刻印のある石材もあります目
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十字架の刻印もありました。島津かキリシタン大名が運んできた石材でしょうか?
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桓武天皇御陵へ向かいますhttps://goo.gl/maps/eTci8fiAqMDsddfg8
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途中にある治部少池
 この池はかって石田三成がいた治部少丸の水堀の名残です。一時期女性の幽霊がでると言われて心霊スポットになっていました冷や汗
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