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2020年05月10日13:03

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中山道で旅館が営業自粛のため45キロを歩く

4月9日(木)

大井〜大鍬〜細久手〜御嶽〜伏見〜太田

今日の行程は45キロほどのロングコースだ。
通常の中山道歩きだと恵那から20キロにある細久手宿で旅館に泊まる。
だけど電話をしたらコロナ自粛で休業をしているという。
他に宿がないので美濃太田まで歩くしかない。
野宿の準備をしてこなかったので。

ということで、恵那プラザホテルは朝5時に出発した。
早出をしないとたどり着かないかもしれない。
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夜明け前の商店街を歩き、県道に出て中央線を渡る。
だんだん細い道になっていく。
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6時前に「是より西 十三峠」と書いてある石標まで来た。
ここから30キロのあいだ山の中を歩く。
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十三峠というのは上り坂下り坂が十三もあるからこんな名前がついた。
中山道最後の難所だ。

ほとんどは舗装道路や遊歩道で傾斜も緩やかだ。
東海自然歩道になっているのでよく整備もされている。
しかし一つずつの上り坂は短くても累積高度はけっこうたくさんある。
和田峠や鳥居峠よりよほど疲れる。

それでもまあ自然の中を歩いていくのは楽しい。
他に人がいないから静かなものだ。
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下街道への分岐があった。
名古屋城から始まって庄内川沿いに中山道と繋がっている道だ。
名古屋市内は大きな道路なのに、終点がこんな登山道になっているとは。
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山の中を抜けると小さな集落に出る。
そこを横切るとまた山の中に入って行き上り坂と下り坂を歩く。
こんな繰り返しが本当に十三もそれ以上続く。
歩いていた時間は長かったし、史跡や祠やたくさんあった。
それぞれ面白かったけど特筆ほどではない。
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8時30分、大鍬宿に到着。
ちょっと大きな集落だった。
外れに東屋があったのでお弁当を食べる。
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長い坂を登り琵琶峠に着いた。
十三峠で一番高いところで標高が558メートルある。
一里塚が完全に残っている。
ここがいちばんの見どころだった。
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もう一つ坂を越えて平坦な道を歩くと細久手宿に着いた。
閉鎖中の旅館、大黒屋の前で休憩する。
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細久手宿は宿場の建物はあまり残っていない。
小さな集落で数十メートル歩くともう家並みが途切れる。
もちろん商店などない。
ここに泊まっていたら、ずいぶん退屈だったろうなあ。

さらにまた山の中を歩き、里に降りて歩いていく。
これを何度か繰り返す。
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十三峠は一里塚がそのままたくさん残っている。
道幅も江戸時代とあまり変わっていない。
旅気分に浸るにはちょうどよい。
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謡坂石畳という坂を下ってきた。
「マリア像 隠れキリシタン こっち→」と書いた看板があった。
道から外れて集落の方へ下りていく。
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七御前のキリシタン遺跡だった。
このあたりは隠れキリシタンが住んでいたらしい。
十字架を彫った石や五輪塔が出土している。
今でも村ではキリスト教の儀式を思わせる風習がいくつか残っている。
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中山道のすぐ横でキリシタンが暮らしていた。
一つには尾張藩の異教取締りが適当だったこともあるという。
当時からこの地方は中央の言うことを分かったふりをしてマイペースでやっていく土地柄だったのだろうか。
まあそのおかげで愛知県は新型コロナ感染を抑え込んでいるからなあ。

中山道に戻る。
謡坂を越えたら、次は牛の鼻欠け坂だ。
そしてこれが最後の坂だった。
下りきるとあとは平坦な道がどこまでも続いていた。
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十三峠は楽しかった。
30キロの距離があり時間がかかるけど、またいつか歩いてみたい。

道端にあった石仏などを少しだけ写真で載せる。
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畑の中に和泉式部の墓という、胡散臭い史跡があった。
そこを過ぎると広くて真っ直ぐな県道に出た。
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ちょっと住宅街に入り込む。
普通の民家で営業するパン屋さんがあった。
たぶんパン作りが趣味の奥さんが趣味で自宅でやっているのだろう。
火曜と木曜だけ開いているようだ。
ちょうど今日は木曜日だから店に入ってパンを買った。
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13時30分、御嶽宿に着いた。
御嵩町は鉄道の駅もある、ちょっと大きな街だ。
「中山道みたけ館」という大きなミュージアムもある。
閉館中なので玄関の前にあった椅子に腰掛けて休憩する。
さっき買ったパンを食べた。
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御嵩宿を過ぎて広い県道を歩く。
ときどき脇道に入る。
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伏見宿に着いたのは15時過ぎだった。
たぶん道路の拡張があったのだろう。
宿場の跡は完全になくなっていた。
本陣のあったところも公民館になっていた。
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それでも常夜灯や庚申塚、それに播隆上人の南無阿弥陀仏の石碑があったりして歴史を感じさせる。
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木曽川近くの上恵土神社を過ぎると中山道は国道21号になる。
この先は滋賀県まで21号沿いに歩くことになる。
岐阜県の主要国道だから交通量が多い。
道幅も広い。
歩くのに疲れてくる。
これが滋賀県まで続くのかあ。
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ちょっと脇道に入ることもあり、そのときはホッとする。

JR太多線をまたぐあたりで、とりあえず国道から離れる。
片側一車線の県道を歩いていく。

木曽川が近づいてきた。
太田橋に着いた。
美濃太田の街も見える。
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中山道の時代には木曽川を渡し船で渡った。
今瀬の渡しといって、両岸にその跡が残っている。

左岸のほうは弘法堂がある。
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右岸は公園になって石畳が復元されている。

太田橋を渡り、右岸の堤防道路を行く。
7年前に木曽川遡行で歩いた道だ。
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途中から旧道へ移り、太田宿に入る。
美濃太田駅への道との交差路で今日のウォークはおしまい。
17時30分だった。

商店街を歩いていく。
駅前のホテルにチェックインする。
「シティホテル美濃加茂」だ。
名前だけじゃなくて本当のシティホテルだった。
1階に売店があり、エスカレーターでフロントへ行くような立派なところ。
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こんなホテルが5000円で泊まれた。
新型コロナのおかげだ。
うれしいな!

例によってお客さんは他に誰もいなくて、フロントの人はヒマそうだった。

夕食はホテルからすぐ近くの中国料理屋にした。
麻婆豆腐定食とビールだ。
12時間以上歩いた疲れが癒される。

太田の商店街は星座をモチーフにしたブロンズ像が道に飾られている。
これはわたしの星座、水瓶座の像だ。
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歩くのも長かったけど、この日記も長くなった。
でもまだ旅は続いたのだ。

つづく
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