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2020年04月28日23:11

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伝え方、伝わり方

世の中、正解のない問題ばかり、とは言うものの、実際には選択肢がほぼ限られている問題がほとんどで、いわゆる「正解のない」問題など、そう多くはありません。とはいえ、正解がわかっている問題はさっさと解決しますから、正解のない問題は目につきやすいし、いつまでも残っていることが多いので、冒頭のような書簡を持つ人は多いでしょう。

新型ウイルスによる感染症についても、なされた施策に対して様々な意見が飛び交っています。厳しすぎるという意見もあれば、甘すぎるという意見もあり、両者が拮抗しているのであれば妥当な線と言えるのかもしれません。問題は、ある人にとって実際にやってみなくても予想できる結果が、別の人にはやってみなければわからないことだったり、別の施策については、その人がやってみなくてはわからないけれど、別の人は「こうなる」と予想できたり、ただし、その予想も想定外の事態が起きて覆されることもあったり、と、多くの人がいるからこその混沌があります。しかし、多くの人がいるからこそ、先走って予想できる問題を見逃し、大損害を受けることを避けられることもあり、基本的には多くの人の意見を聞くことは望ましい結果をもたらします。

提示すべき解決策も人によって異なれば、その施策の受け止め方も人それぞれで、警察を用いた監視をしてまで禁止させるのでなければ「それほど強い禁止ではない」と感じる人もいれば、自粛要請と言われれば生死にかかわる事態でもなければ外出してはいけないだろうと思う人もいます。その辺のバランスも難しいところですが、一般的に慎重な人は外出自体を控えるうえに、外出した時には対策を十分にしなければいけないと考えるのに対して、楽天的な人はちょっと家にいるのに飽きたら「退屈で死んじゃうよりまし」と外に出て、普段通りの外出をしてしまいがちになります。

十分な対策をすれば多少の外出は大丈夫、と言われたときも、「十分な」を「何らかの対策(例えば、マスクだけ)」をすれば、帰宅時の手洗いなどもいいかげん、と言った人が多くいれば、どうしたって「外出をどう制限するか」と言う話になってしまいます。萎縮しすぎてしまうと次亜塩素酸ナトリウムで肺炎になってしまった人のようなことになりかねませんから、ある程度ゆとりを持った生活をすることも必要ですが、一部の楽天的すぎる人のために「そこまで気を張り詰めなくても大丈夫」と言えないというのはなかなか辛いものです。

孔子の評伝を読んでいたら、彼は人によって語ることを変幻自在に変えていて、ある人には「もっと厳しくなれ」と言い、別の人には「もっとゆとりをもて」と言い、その人の必要な言葉を語るため、一貫性がないように思われがちだが、本質はいつでも一緒なんだ、みたいなことが書いてありました。変わらない本質を受け取り方の違う人々に対してどう伝えればよいのか、AI技術を使った「意味翻訳」みたいなことができるようになれば解決するのかもしれません。
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